A大学

四年生の春に母とA大学を訪ねた。六校のうち、ここだけは母と一緒に行ったが、他は全部父とだった。

私が申し込んだ大学の中ではA大学が一番うちから近かった。これは私にとっては欠点だったが、両親にはそうでなかったようだ。母は運転免許は持っていなかったので、私が運転していった。

近いから半日位で訪問することにした。最初はキャンパスのツアーだった。四人の受験生とその保護者と一緒に、A大学の素晴らしさの説明をくどくどと聞かされた。ガイドは現役の学生だった筈だが、これでいったいどうやって大学生になれたのかと思わざるを得ないような人物だった。

それから母と分かれ、コンピューターサイエンスの教授と三十分ばかり話すことが出来た。ポニーテールにフランネルのシャツと草履と言ういでたちの彼の名はジムだった。A大学では、クエーカー(キリスト教の平和主義派の一つ)の伝統に従って教授でも名前で呼ぶ習慣がある。これでも教授か、と最初は驚いた。だが、話は盛り上がって、三十分に及んだ。ジムは腕時計を見て「あ、授業に遅れてしまった。行こう!」と席を立ったが、特に慌てているようでもなかった。

三年生の授業だったので、内容はほとんどわからなかったが、話がわからなくなるとその前の会話について考えたりして時間を過ごした。

それから母と合流して昼食を取った。訪問した大学の食堂の中で、一番美味しかった。

そして面接時間になった。と言っても、A大学には正式な実績基盤の奨学金制度がないので、普通の受験面接だった。そして、私の面接官は大学職員ではなくてボランティアだった。一体どういうことだ。二十五万ドル(約二千五百万円)の学費をとっているところで、面接はボランティアなんてあり得ないと思った。でもそうだったのだ。

面接官の女性はA大学について何も知らないようだった。アメリカ式の面接は、始めに面接官がいくつかの質問をした後で志願者の方から質問するという形をとる。ところが、私の基本的な質問に対して彼女は「すみませんが、分かりません。」の一点張りだった。

そんな無茶苦茶な面接をともかく終えて、帰途についた。

ちなみに、その日のツアーグループには一人の美人の女の子がいた。母に言わせると「彼女、あなたのことが気に入ったよ。あなたが面接に行った時、彼女のお母さんが「しっかりした息子さんねぇ」って言ってくれたのよ。二人ともA大学に入れるといいわね。」なんだそうだ。まあくだらないことを、母親っていうのはよく言うもんだよね。

母はA大学に行くことを薦めたのはそれっきりであった。