JJさん・「コンピューター・プログラミング一○一」

初級コンピュータークラスを担当していたJJさんは前年に学部を卒業したばかりの講師で、教授の研究生だった。

当時のA大学の学費は一単位あたり約八百ドルの計算になっていたので、最初はこの三単位、二千四百ドルというクラスに教授が現れないのを不満に思った。だが、JJさんは正教授でなくとも教え方が大変上手で、面白い授業だった。

Jjさんの長所は、いつも口から様々なトリビア(雑学知識)がこぼれてくるような、好奇心の強い人だったことである。トリビアのゲームが大好きな私にとっては、とても楽しい雰囲気だった。

Jjさんもユーモアのセンスも凄く気に入った。

例えば、ある日、彼は私の腕の長さより広い直径の赤い中折帽子を被って、当たり前のような顔で教室に入ってきた。しかも自分の馬鹿馬鹿しい様子に全く気付いていないように。それは、「レッド・ハット・リナックス」を紹介するためだった。

私は別に授業が楽しくなくても構わないタイプだが、JJさんの授業は始めに思ったよりずっと良かった。

だから、彼のクラスでは結構勉強出来た。

因みに、私が授業の楽しさ云々を気にかけるのは、祖父の影響である。

祖父は心理学者で、博士論文を書いていた時、時に色々な実験をしたのだが、その一つに「楽しい」授業と「つまらない」授業の効率を比べるというものがあった。

簡単に言うと、生徒に「楽しい」と評価されるのはイベントとかゲームが多い授業で、「つまらない」と思われるのは講義だけの授業なのだが、祖父の研究の結果は、後に生徒がよりよく覚えているのは「つまらない」授業の内容の方だということだった。

これは実験を始めた当初の仮説とは反対の結果で、「楽しい」授業を受けた生徒の殆どはその楽しさや特定のイベントを覚えているだけだということが判明した。

まあ、余談はこのくらいにして、話しに戻ろう。

実際の所、JJさんは次の学期のJ先生より教え方がうまかった。

アメリカの大学教授というのはあくまで専門家なので教授法を勉強していないからだろうと考えられる方も多いだろうが、私に言わせれば、それだけのことからくる違いではないと思う。教授法を勉強したからといって良い先生になるとは限らない。まして教育理論そのものがどんどん痴呆化しつつあるこの頃では、そういった教授法の訓練は出来るだけ避けた方が良いと思う。大学教育のレベルでは、学生と教授がお互いに大人として論議しながら授業を進めるというのが好ましいと思う。

十月にマイケル・Mooreがインディアナポリス市で講演をすることになった。

その講演のスポンサーの一員だったA大学の学生にも限定数の無料入場権が配られた。

しかし、私は大学の連絡網から漏れていたので、もしJJさんの授業を受けていなかったら、マイケルをライブで見る機会は得られなかっただろう。

講演があったのはブッシュとケリーの大統領候補者ディベートの直前で、大変混んでいた。

インディアナ州でそれだけの数のリベラルが集まったのを未だ曾て見たことがなかった。

マイケルをライブで見て時、閃いた。

有名人が講演する時は、新しい面白い情報を提供するよりは、誰もが既に知っている過去のことを繰り返し並べ上げるのというのが一般のやり方なのだ、と。マイケルは特に話しが下手というわけでもなく、どちらかと言えばうまい方だったが、それでも私には何か物足りなかった。

A大学で過ごした四年間で知名の学者や有名人の講演を数十回聞きに行く機会があったが、内容がどんなに素晴らしい時でも、いつもちょっとガッカリした気分で帰った。