大学の始まり

ようやく大学の入学式の日がやって来た。朝御飯を食べてからテントを片付け、バンでキャンプ場からキャンパスへ向かった。キャンパスで父が待ってい た。父と話しながら、「八月の冒険」のキャンプ用具を倉庫に戻しに行った。それに大分時間がかかったので、式の開始時間ぎりぎりになって講堂に着いた。も のすごい数の生徒と両親で、もう空席は残っていなかったから、三階へ上って、後ろの階段に座り込んだ。つまらない挨拶を聞くふりをしながら、それまでの三 週間、つまり、山の冒険のことを考えていた。

私達はA大学の百五十年以上の歴史において一番大きい新入生のクラスだった。四百人が限度の所に、その年には四百五十人以上の学生が来てしまったか らだ。次の年にも同じ様な予測はずれが起こった。しかし、これが特に悪いことだという気はしなかった。当時の私はまだナイーブで、「頭数を増やすために水 準を落とす」という論理にあまり慣れていなかったのだ。

目が覚めたら、学校行政の事務員が私達新入生についていろいろな統計を紹介しているところだった。あまりにもバカな話だったが、一つだけ今でも覚え ていることがある。それは、ある学生が願書の「将来の夢は?」という質問の答えに、「ジェダイナイトになりたい(スターウォーズのヒーロー達の一員)」と 書いた学生が居たということだった。そんなバカバカしいテーマでエッセイを書き上げて、私と同じ大学に合格出来た奴がいたことに驚いた。スターウォーズの 台詞を丸暗記してきた私でさえも、本音はどうであれ、ある程度真面目なふりをする必要があると思っていたので、これはあまりと言えばあまりの話だった。

しかし、A大学は変人の楽園だ。それというのも、A大学の教授も学生も他ではあまり見かけないような人間ばかりが集まっているからだ。小中高で苛め られた学生が多かったから、当然社交的に問題のある者も少なくなかったが、A大学の学生のとても良い点は誰もが少なくとも一つは特技をもっていることだっ た。例えば、一見普通の医学校志望の学生が、夜になると腹話術のショーを演じる。または、言語学専攻の学生がファイヤーダンスを披露する。しかもサーカス 並みの腕前である。芸術を全く理解しない警備員が現れるまでのことだったが。また、昼間に社会学を勉強する一方、夜になると荒廃したビルを探検している学生もい た。(実はこれはG坊主とT共謀者の趣味の一つだった。)

式が終わると入居時間になっていた。寮へ向かうところで、不吉なことに、Hと彼女のお母さんが声をかけてきた。

「旅行はどうだった?」とHは尋ねた。彼女はとんでもなくだらしない服を着ていた。似合うどころの話ではなかった。ファッションに疎い私は、それこそ本当に酷い格好になっている時でないと「似合わない」と気が付かない。

「大学の初日に、なぜそこまで露出する必要があるんだよ」と突っ込んでやりたかった。「自分を売るのに四年もあるから充分だろ。お母さんの前では焦ってないみたいに振舞いたがる癖に。」と言ってやりたかった。だが、「まあ、楽しかったよ。」とだけ答えた。

「あたしも行きたかったわ」と彼女。しかし、これはどう見えても嘘だった。Hは運動オンチで、虫が嫌いだった。それによく文句を言う癖があるから、すぐに新しい友達が出来ない性格だった。

「いや、お前じゃあ、多分楽しめなかったと思うよ。」

「とにかく、アンタと一緒に大学に行くのをすごく楽しみにしていたのよ。」

父とふと見て不味いに思った。適切な答えが思いつかなかったが、会話を早く終わらせたくて適当に言葉を濁した。「まあ、僕もここを選んでよかったと思ってるよ。悪いけど、まだ部屋の準備があるから、話は後にしよう。」

「そうね。後でゆっくり話しましょう」と彼女。私はゾッとした。

ちなみに、インディアナ州には、地元に本社を構える大手の「偉い百合」製薬会社の提供による州出身の学生のための奨学金があった。その奨学金は州の 九十郡の人口に比例して振り分けられ、州内の大学なら公立でも私立でも四年間の学費と寮費全額に加えて毎学期五百ドルの生活費まで出してくれるというもの だった。奨学生の専攻にあたっては「偉い百合」はは口を出さず、各郡の組織に任せていた。

インディアナ州の九十群のうち、八十九群は一番優秀な生徒にその奨学金を与えていた。しかし、私が住んでいた群だけは、「優秀な生徒に与えるが、一番優秀な者は除く」という方針だった。私は成績が良すぎたせいで、申し込もうにも申し込めなかった。

Hはその「偉い百合」の奨学金をもらっていた。確かに、私には羨ましいことだった。怒りも覚えた。それは、Hが四年間の大学教育が完全に無 料なのにも関わらず一年生の時から二つのバイトを始めたことが気に触ったのだ。彼女は本当にお金が必要だったのではなく、ただ遊ぶ金のために働いていた。 だが、いわゆる「完全四年無料」奨学金の主目的は、優秀な学生がバイトなどをせずに勉強に集中出来るようにする、ということだ。飲み食いや車代のためにバ イトなどをする学生は、そういった奨学金の意義を台無しにしてしまう。

A大学は一般のアメリカのほとんどの大学のように寮制だった。学生の九割以上は寮に住んでいて、特別許可をもらっている三、四年生だけがキャンパス外に住んでいた。この許可を貰うには、醜い寮の行政管理局長と一夜を過ごす位の努力が必要だった。

私が住むことになっていたのは「静かな寮」という建物だった。当時の私はよく大学のことを知らなかったが、「多分寮はうるさいところだろう」と思っ ていたので、A大学で唯一の静かな寮を選んだわけだ。寝るのにどうしても静かな環境が必要で、騒ぐ時は友達の寮へ行けばいいと思っていた私にとって、この 選択肢があったことは小さな幸せだった。

しかし、現実に直面すると幻滅することはよくある。「静かな寮」がそう指定されていた本当の理由は、個々の学生の好みを尊重するためではなく、単に壁が物凄く薄いから、ということだった。だから、皮肉なことに、現実には普通の寮よりちょっとうるさい所だった。

後で、母が始めてその寮を見た時に言った。「あれ?あそこに住んでるの?あれじゃ、寮っていうより安モーテルみたいよ。」安モーテルとの共通点は外面だけ ではなかった。例えば、その年には、二階建ての寮の一階に住んでいる学生の殆どがセックス狂だった。それだけだったら普通の学生と大した違いはないかもし れないが、同じ寮内の人間としか関係を持たない学生が多いのが目立った。私の部屋は二階だったが、百人を上回らない人数の寮の中で、二学期にもなると階下 の人間関係がややこしくて情けないありさまだった。そういうわけで、以下、この「静かな寮」を「安モーテル」と呼ぶことにする。

私が部屋に付いた時には、ルームメートのDCは既に自分の半分を片付けていた。私達は赤の他人からすぐ友達になった。大学の四年間に一緒に暮ら した四人のルームメートのうちで、一番うまくいった相手だった。他のルームメートは全て私が自分で選んだにも関わらず、DCの方が良かったというのは不思 議なことだ。

DCと私は、見かけも似ていた。これはA大学の変なところの一つだった。ルームメートを決める際、出来るだけ顔が似ている学生を選んで組み合わせる という癖があった。そして、DCもインディアナ出身だった。なるべく似たような経験のある者同士を組み合わせれば、あまり喧嘩にもならないだろうという考 え方らしい。

初めて部屋を見た時にはその狭さにガッカリしたが、これはあくまでも第一印象に過ぎず、すぐに考え直した。大学では別に広い部屋は必要ない。それよ りパソコンだ。私はパソコンを持ってきていなかった。大学に入ってから買うつもりだったのだが、初日は忙しくて、注文する時間さえなかった。