HとDC

Hはいつの間にか私達の部屋の常連になっていた。閉まっていたドアを開けたら、彼女がDCと並んで彼のベッドに座っていた。普段彼が部屋に居る時はドアを開けておく習慣だったので、本当にびっくりした。とっさに「不味いな」と思った。まさかこの女は彼にちょっかいを出しているのだろうか、と。

そう気付いたからには無視するわけにいかなかった。時間がたつにつれて、彼らは親しくなりつつあるように見えた。部屋にいてもいつもDCと話していたから私の邪魔になるわけではなかったが、やはりルームメートのことだから気になった。会ったばかりのDCのことはあまり知らなかったから、どのように彼に忠告すれば良いのか分からなかった。

だからある夜Hに「ちょっと時間をくれないか。外で話そう」と促した。

寮の狭い廊下で立った彼女は尋ねた。「何?」

「俺のルームメートに手を出すなよ」

「アンタ、最近変だと思ったら、それかあ。全く、アンタって、バカみたいに分かりやすいんだから。」

「冗談で言ってるんじゃねぇよ。彼をどう思ってるか知らないが、俺達がはルームメートである限りちょっかいを出すのはよしてくれ。そうじゃなきゃ、俺はお前と一切縁をきるぞ。」

「アンタ、何言ってんの。バカバッカみたい。あたしがDCと話しているのは、アンタを待っているだけだよ。アンタに会いにきてもあんまり居ないから寂しくってさ。それで丁度DCが居るし…」

「お前、俺がそんなこと信じるようなバカだと思ってるのか」

「本当だよ、本当のことを言ってるだけだよ。」

ここらで周りの学生の目に気付いて、どうにも廊下でこの会話を続けることは出来なくなってしまった。「庭に行こう。」彼女は私の要求に従った。

歩道を歩きながら話を続けた。普段の私は議論をしながら歩くのが結構好きな方だが、これはそういうのとは別物だった。私が好きなのは知的な議論だけだ。こういう個人的な感情問題で口論するのは苦手だった。

「夏に友達でいようと約束した後で、こんなバカな手を使うなんて許せない。本当に友達だったら、俺のルームメートにちょっかいを出すなんてことをする筈がない。」

「あたしがDCにちょっかい何か出していないわ。なぜそう思っている、理由を聞かせてくれないかしら?」

「ちょっかいなんかだしてないったら。なんでそんなこと言うのよ。」

「彼のベッドに一緒に座って、膝に乗るくらいひっついてるじゃないか。それに、昨日電話してきた時俺が忙しいって言ったら、『アンタはいいの。DCと話したいわ』って言ったのはどこの誰だよ。」

「それはDCに生物の宿題を手伝ってもらってるからよ。彼は優しいし、本当に頭が良いわよ。まるでもう医者みたい。」

「念のため、ちょっと教えといてやろう。DCはお前に惚れてなんかいねぇぞ。昨日、あの電話の後で、俺達がどういう関係か聞かれたんだ。俺が元の彼女って答えたら、彼は、『じゃ、僕にはデートの対象外ってことになるな』って言ったんだ。勘違いするなよ。大事なのはその後だ。彼が続けて言うには、こうだ。『君には失礼だが、恥かきついでに聞いてしまおう。実は、ずっと前から気になっていたんだが、何と言うか、その、彼女の女性としての品格なんだけどね。いや、君に悪い意味で言ってるんじゃないんだ。君がしっかりした男だってことは分かってる。ただ、まあ、どう見ても、彼女はちょっとだらしないタイプのように見えるんだ。』お前が言う通り、DCは本当に頭が良いんだ。だから、お前の下手な芝居なんかすっかりお見通しだぜ。」

「嘘つき。DCがそんなこと言う筈ないよ。紳士だもん。」

「紳士でも真実だったら、たとえ醜くいことでも、言う時には言うもんだ。お前は、根っから真実って言葉が苦手みたいだけどな。」

「アンタ、何よ、それ。じゃ、ハッキリ言うわよ。あたしは自由。自分が好きなようにどう動こうと、あたしの勝手。それこそ大学での自立って言うもんよ。」私はこれはどう考えても間違いだと思ったが、彼女は自分の口から出る言葉を理解しないまま矢継ぎ早に続けた。「DCとデートしようが何しようが、それはあたしの自由じゃん。アンタの言い分なんか聞く必要ないよ。だいたい、もう彼氏じゃないんだから、アンタには私が男を作るのを止める権利なんかありゃしない。」

「お前はバカだ。そういうとこ、お袋さんにそっくりだぜ。」彼女が何よりも怖がっていたのは、自分のお母さんのようになることだった。十分あり得ることだったから、無理もない。「いつも男にひっ付いてやがる。最初は俺達は違うと思ったけど、それはご存知の通り大きな勘違いだったよな。俺と付合う直前まで他の男が居て、俺を振ってから一週間もしないうちに次の彼氏を作ったんだ。で、奴にお前が振られた時は、よく覚えてないが、二週間位保ったかな。」

「アンタ、何が言いたいんだよ。」

「お前は人生を無駄にしてるんだよ。いつも男が居なくちゃダメで、それが何でか、全く解っちゃいない。
最初に付合った時は、お前をその悪循環から救い出してやりたかったんだ。あの頃はお前が本当に美しく見えたし、本当にお前を愛していた。だけど、お前は救いようのない女なんだ。お前はいつも自滅的な方向を選ぶんだ。高校卒業記念に一緒に作った『No One Dies a Virgin』の映画のラストーシーンを覚えてるだろ。俺は、お前のためにあれを書いたんだぞ。」

(これは、映画の主人公の守護精(fairy godmother) が最後に現れてすべてを説明するという、いわゆる、デウス・エクス・マキナ (deus ex machina) の急場解決のシーンである。その守護精の解説によると、誰でもいつか必ず人生で一番重要な選択に直面する時が来る。そこで、「白いドアと黒いドアのどちらかを選んで、その世界へ踏み込む」という決断をしなければならない。守護精は続ける。「白いドアの向こうは、あなたの永遠の幸せが待っている楽園です。友達も皆いて、悩み事もほとんどありません。黒いドアの向こうは全くその逆で、開けたら二秒もしないうちに誰かにぶん殴られるような目に遭います。そして、その後の状況は悪化する一方です。私の説明は以上です。あとはあなた次第ですよ。」そう言い残して、守護神は黒いドアを開けて暗闇に消える。)

私はHに説明を続けた。「俺は頑張ったけど、二年が限界で、うんざりしちまったんだ。それでも、お前もいつか男を追いかけるのに飽きるだろう、と思ってたんだが、間違いだったな。情けない女だよ。俺は預言者じゃないが、お前の将来を予測してやろう。何十人もの男と付合った末に誰かと結婚するかも知れんが、どのみち離婚になるのは決まってるぜ。そして、中年から独りぼっちになっちまうんだよ。今のお前のままだったらな。お前はまともな人間関係が保てないんだ。いつも欲張って、相手に嫌われるような形で誘惑しやがる。鬱病のせいかなんか知らんが、もう、俺にはお前を助けることなんか出来ない。それどころか、今の状態じゃ友達でいても何も良いことがないみたいだ。もう、俺から離れてくれ。そして、俺のルームメートにも手を付けるな。」

彼女はしくしく泣いていた。「あたし、本当にお母さんみたい?」

「ああそっくりだ。遺伝には逆らえないもんだな。『蛙の子は蛙』って言えば分かるだろ。」彼女はこの陳腐な決まり文句にすくみ上がった。それを見て、私はさらに情けなくなった。

「あたしはいつもずっとアンタのことを愛してるけど、アンタがもう同じように思ってないことはハッキリだね。さよなら。」

しかし、話はこれで終わらなかった。休戦状態に入ったところで、彼女が話し続けた。「あたしを一日でも本当に愛したことはあったの?」等々、いろいろ感情的なことを言っていたのだが、このあたりは省略して差し支えないだろう。ただ、はっきりしておきたいのは、私達二人とも、これが最後の会話だと知っていたということだ。いつまでも嫌い合っているだけではいられないから、将来の平和的共存のためにお互いにちょっと慰め合っていて話が長びいたと言えるだろう。

その日から私達は挨拶さえ交わすことはなかった。今考えると、私も少々言い過ぎだったかとも思う。彼女をそこまで傷つける必要はなかったかもしれない。でも、後悔しているわけでもない。彼女が私を裏切ったから、彼女は私を裏切ったのだから、復讐には手を選ばないという環境に育った私には当たり前の行動だった。今でこそそうした考え方は非常に危ないものだと思えるのだが、当時の私はまだ分かっていなかった。

全くの白紙状態で大学生活を始めたかった私には、彼女のような高校からの大荷物は邪魔だった。無論前にも 言ったように復讐の考えもあった。でも、彼女をそこまで憎んでいたというわけでもない。ただ、罰を科してしかるべきだと思っただけである。

小さい大学の中に住んでいたからしょっちゅう出合うのは避けられなかったが、その日から声をかけることはなくなった。