彼女との別れ

できることなら、私はこのセクションはカットしたい。でも、やはりこの話を最後まで説明するためには、のことを書かなくてはならない。私のように恋愛話に興味がない読者の皆さんは、この部分を飛ばしていただいてもよい。私以外の人には、あまり意味がないと思うから。

大学に行く前に、やるべきことがもう一つ残っていた。Hとの別れだった。

彼女は私が初めて恋愛感情を抱いた相手だった。高校二年から彼女とデートするようになったが、三年になって彼女が他の男に目移りして別れられてしまった。そのとき、「これはあくまでもあたしの個人的な問題だから、絶対他の男とデートするなんてことは無いわ。今でもあなたのことが大好きよ。ただ、自分の時間がほしいの。」と言われたので、単純な私は彼女を疑わなかった。

私たちが最初に付き合うようになったきっかけは、私がよく彼女の色々な悩みの相談にのったことからだった。やり直しが出来ることならば、こういう関係は恋愛に発展させない方がいいと思うのだが、当時の私は恋愛に関して全く疎く、私自身の悩みの相談に乗ってくれるような友達もいなかった。だから、失敗を繰り返しては知識を得るという試行錯誤で進むほかなかったのだ。

無論彼女の別れの言葉は大嘘で、たったの二週間後には、そのカーティスという野郎と付合い始めた。何よりも腹が立ったのは、奴があまりにも情けない男だったことだ。

もし私と別れたのがもっと素敵な男性と付合うためだったとしたら、それは悲しくても仕方がないと思っただろう。だが、カーティスは高校卒業後に図書館の整理係になるような奴だった。大学に行かないで、時給500円ぐらいの本棚の整理係に就職してしまった。皮肉なことに、彼は本に対する興味は全くなかったようだ。趣味と言えば、音楽鑑賞と大麻ぐらいといったところだ。醜いチビでモテなかったタイプだったカーティスは、高校生時代に彼は彼女が二人しか出来なかった。二人とも後輩だった。(日本の習慣は知らないが、アメリカの高校では、歳の離れた後輩と付合う男子生徒(特に四年生と一年生が一緒になる場合)は幼稚と思われる。男なら、子供には興味を持たない筈だという考え方だ。)カーティスが持っていたのは悩み事ばかりだった。

だが、悩むことに慣れていたHは彼の悩みが非常に気に入ったみたいだった。常に危機を必要とするHにはぴったりな奴だったのかもしれない。共通の友達によると、カーティスと彼女は今でも話す程度につながっているそうだ。余談だが、ずっと小さい小さい町の社会では、断ちたいような人間関係でも断てないことが多い。

とにかく、彼女はそのカーティス野郎と付き合うようになり、六ヶ月後には奴と別れて、他の彼氏を探し始めた。次を見つけることは見つけたが、この彼はゲイだったから私は本当の彼氏とは認めていなかった。そして4年生の最後の学期になった時には、Hはまた『独身』になっていた。プロム(卒業ダンスパーティー)が迫っていた。アメリカでは春学期にあるプロムという三、四年生のカップルのパーティーが大イベントで、高校と言ったら世間はそれしか連想しないぐらいの大騒ぎだ。私は全然行きたくなかったが、プロムに行くのがHの夢の一つだということはよく知っていた。だから、私は彼女をプロムに誘った。一応別れても彼女のことを愛していたから、彼女の夢を叶えてあげるために誘ったと言えるだろう。だが、正直を言うと、同時に復讐も図っていた。

私たちは偶然に二人ともアーラム大学に行くことにした。別れていた間に、それぞれ互いの決断を知らずアーラムを選んだ。同じ大学に行くのだから、その先ずっと付合うということも当然有り得る。どうせ高校で一年間付合ったら、永遠も同じようなもんだ。少なくとも彼女はそう考えていたと思う。彼女が暗にそのような台詞を口にした時、私は反対の言葉を挟まなかった。彼女は騙されただろう。それとも、彼女が自分を騙していて、私はわざと何もしなかった、ということかもしれない。

信頼していた人に裏切られることくらい辛いことはない。彼女は私を裏切った。もし、別れた時点で正直に、直接「カーティスという男が非常に気に入って…」みたいなことを言ってくれたら、私は彼女を許すことができたと思う。でも、その時私が「やっぱり僕と別れるのはカーティスのせいなんだね」と聞いたのに、彼女はハッキリ「いいえ、絶対そうではないわ」と答えたのだ。

その別れの時の嘘が私に対して彼女の初めての嘘であった。私達二人は非常に親密だったから、プライベートな日記さえお互いに見せ合った。当時の私の日記は率直そのものだった。考えたまま書いていたので絶対誰にも見せないつもりだったのだが、彼女と付合い始めてから、彼女だけだったら良いではないかと思い始めた。

初めて見せたとき、彼女がすごく驚いたのは、彼女のことばかりでなく違う一人の女性について数段落書いてあったことだ。手短かに述べると、「彼女には悪いが、最近オナニーをするとこの女をどうしても考えてしまう。だが、この女は大嫌いだ。性的なことをしたら、嫌いな人ばかりを考えるのは不思議だな。」というような内容だった。今になって考えると不思議なことに、当時の私は本当にそれを彼女に見せても損はないだろうと思っていた。

でも彼女はこれを読んだ後、別に怒っていなかったようだ。私達はいつもお互いに完璧に正直だったからだろう。

私達の共通点は、自分と全く異なった別の精神を理解したい、という望みだった。哲学の用語を借りて言えば、ヘーゲルの「他人問題」を解決しようとしていたということだろう。人間の心は本人にしか解らないのだが、お互いに完全に正直に自分をさらけ出すことによって相手の内心を自分の中に結合するところまで近寄ろう、という考えだった。高校生によくあることではないか。

哲学的には失敗に終わったが、お互いに秘密はなかったから、二人だけで話すことが出来た時のことは今でも幸せな想い出だ。

だが、まだある。これは書くべきかどうかわからないが、私の彼女への怒りには今まで何も書いていないもう一つの理由があった。それは、一回だけでなく、二回私を裏切ったことだ。

別れてから六ヶ月後、彼女から電話があった。

「カーティスと別れたの。」と彼女。

私は「なんでわざわざ僕に報告する必要があるんだよ。」と答えた。

「もう一度付合いたいってわけじゃないけど、ただ、今友達があまりいないし、カーティスにふられてすごく傷ついてるから、誰とでも話したい気分なの。もちろんアンタは誰よりもあたしの愚痴を聞く義務がないんだけど。本当に悪いけど、お願い。アンタしかしかいないから。」

こういうだらしない現実に直面すると、一年前の私達の幸せが嘘のようだった。「いったい俺はあの頃何を考えていたんだ」と、それまでの関係全てを後悔し始めた。それでも、結局は彼女の愚痴を聞いてしまったのだ。

そのときでも私はまだ彼女が好きだった。でも、好きな気持ちばかりではなかった。憎みもあった。そして、彼女の話の途中で吐き気を覚えた。

「実はね、悪いけどさ、(これは彼女の口癖だった)、あたし、カーティスと○○したよ」

これには本当にうろたえた。カソリックで育てられた私は、無意識的に人間の価値というものは個々の性行動によって決まるものだと信じていた。そして、セックスに関しては、相手の人数が少ないほど善いのだと思っていた。神様の存在を疑っていた私だが、セックスに関しての規則は疑わなかった。

キリスト教の性についての考えでは、一般的に自分の体を『大切にとっておく』ことが望ましいと考えられている。

要するに、彼女は私とよりカーティスと進んだということだ。しかもたったの三ヶ月の付き合いで。彼女が私にこれを告げた時、「なぜ私にこんなことを告白しているのか」と考えたのと同時に、思わず聞いてしまった。「カーティスをそんなに大切に思ってるの?」

「そうでもないわ。」と彼女。

これには更に驚いた。「そんなに大切な人間ではないなら、なぜそんなことを?」

「その場の気分にのっただけなの。アンタにはわからないと思うけど。」

ある意味彼女の言い分は当たっていた。私には彼女の動機が全く想像出来なかったことは確かだから。

私たちは一年間半の付き合いの末に、いわゆる二塁(B)というところまで行っていた。当時はそれが私達の我慢力や善さの証拠だと思っていたのだ。

その頃やれば出来るのにやらなかったことをカーティスのような奴のために捨てるのは私には全くわからない行為だった。

私は普段電話で話しているとき、動き回る癖がある。ただ立っているのでなくて、話しながら歩き回らなくてはならないタイプだ。しかし、彼女のその話を聞いた時は、憤慨のあまり座り込んでしまった。

当時の私は混乱していて、その復讐が自己防御の本能からだったのか、彼女に自分の傷の痛みを思い知らせてやるためだったのか、今思い出そうとしてもハッキリしない。

ただ、他のことは殆ど考えられなかったのは事実だ。私は完全に絶望していた。その四ヶ月前には、Hと一緒に高校を卒業して、大学に行って、大学を卒業してから結婚して、幸せなハッピーエンドになるんだと。当時は本当に彼女の言葉を信じていた。別れたときでも、彼女を信じた。ただ言われた通り、彼女はしばらくの間自分の時間が欲しいだけで、他の男性なんかに全然興味はない、私だけを大切に思っている、と素直に信じた。

私は若かった。彼女とは初恋だったので、他に比べるような経験もなかった。友達の中でも、私はガールフレンドが出来たのが一番早かった。そして、両親に彼女とのことはあまり話せなかった。

その電話の会話の時から、それまでの愛がだんだん腐り始めた。その腐ったところから、嫌悪が芽生えてきた。それまで, 私は本当に彼女のため一生懸命頑張った。一年間半、自分のことは棚上げにして、彼女のことばかり考えていた。そのお礼に彼女は他の男性と性的な関係を持った。

男には誇りというものがある。お互いを大切にするとまで行かない場合でも、ある程度気を配らなくてはならない。だがやはり良い関係というのは、お互いの悩みを解決しようと努力することだ。互いに正直に夢を話し合って、一緒に将来を一緒に探す。

私とHはそういう信じられないような幸せな時期があった。にもかかわらず、後であまりにもひどい仕打ちを受けた。しかし、その仕返しについて書く前に、その幸せな時期について少し書いておこう。

この物語の中では悪人の一人になっているHだが、実際の彼女はあくまでも悪い人間ではなかった。Hと付き合ったことをきっかけに、私は長い間持っていた「小説を書く」夢を実現出来た。まだただの友達であったとき、何かの話のついでにHもいつか小説を書きたいと思っていることがわかった。励まし合って精を出し、八ヶ月後には私が小説を書き終えた。そのとき、私たちは既にデートをしているようになっていた。

自分でも驚いたことには、書き終えた小説はロマンスだった。私は一冊もロマンスを読んだことがなかったのに。小学校四年の時からずっとSF小説を書こうと思っていた私が、なぜかわからないがロマンスを書いてしまった。中学校時代に書いたSFの下書きは400ページ以上もあったが、結局違う方向に行ってしまった。ただ、Hの影響ではないと思う。私はそもそもロマンスの世界が嫌いであった。皆、愛に落ちると馬鹿になるから。そのうち、「良いロマンスというものはあり得るだろうか」と考え始めた。それから小説を書いた。しかしHはあの童話のような世界が大好きだった。

残念なことに、Hは自分の悩みで一杯で、アウトラインさえ書き上げられなかった。

私が初めて書いた小説は読むに耐えないものだった。完成した時には、自分の表現力の乏しさにうんざりしていた。

でも、大学二年生の時、もう一度その原稿を読んでみたことがある。自己批評に過ぎないが、そんなに悪くはない気がした。無論、これはあくまでも自分だけの気持ちだから、私が良いだろうと思っても他の人に見せるほどの作品ではなかった。

今でもその作品で好きな所と言えば、全体が日記式で、前半が男の子の視点から、後半が女の子の視点から書かれているのだが、真ん中で男の子が事故に逢い、後半を読み始める読者にはそこまでの主人公が生きているかどうかわからない、という構造だ。視点を変えることで、物語を進めるのはユニークな手法ではないが、視点を操って遊ぶのは楽しかった。

完成した作品はシングル・スペースで45ページだった。おそらく本当に小説と呼ぶには短すぎるだろうが、始めから終わりまで必要だと思うことは全て書いてしまったから、量を増やすために無理に書き加える必要はないと思った。

前の話に戻ろう。Hが最初に私をふったのは、私の部屋だった。ふられたという事実に加えて、これは全くの侮辱だった。

次に私の方から別れ話を持ち出そうと決めた日は、そんなことを繰り返さないように、散歩に誘うことにした。祖父母の家の後ろには、堤防に挟まれた川が流れていた。昔は鉄橋が架かっていたのだが、大手の自動車会社が鉄道会社を買い潰した後で、市が「安全のため」と称して取り除くことにした。

ただ、鉄橋の台座は頑丈なものだったので、取り除こうにも取り除けず、そのまま残っていた。だから、鉄橋はなくても、堤防の上からその台座まで歩き出て川を眺めることが出来るわけだ。ジョギングの途中で、よくそこで休憩したものだ。今ではどうなっているかわからないが、高校生の私にとっては本当にきれいな穴場だった。

Hをわざと散歩につれだして、そこで落ち着いて話題を持ち出した。

「H、大学に行く前に別れた方が良いと思ってるんだけど。」

「なに言ってるの?」

「実はね、悪いけどさ、僕たち、付合うのは二回目だよね。で、全部で二年位付合ってることになるだろ。でも、僕は君に納得がいかない点がいくつかあるんだ。これはどうにも避けられない現実なんだ。」

「そっか。でも、不満なことを言ってくれれば良いじゃない。だって、教えてくれれば、あたし、直すから。」

「いや、直せるようなものではないと思うよ。」

「どういうこと?」

「ちょっと言い換えてみよう。僕ら、まだ大学のことはよく知らないよね。」

「うん。」

「だから、大学で何が起こるか解らないのに最初から引っ付いていたら損だと思うんだよ。柔軟性がないから。」

「他の女とデートでもしたいわけ?」

「いや、そういうんじゃなくて、ただ、授業やサークル(注:アメリカのサークルは日本と別物だが、それは後で説明する)でどんなに忙しくなるのか解らないとか、そういう心配だ。」

「そうね。そうかも知れないわ。」彼女は泣き始めた。「でも、あたしたち、友達よね。ずっと友達のままでいたいわ。」

「ああ、それはもちろんさ。」彼女が「友達」をどんな風に考えているか知らなかったが、別に聞きたくもなかった。だが本当に友達でいくなら、それはそれで別に悪いことではないと思った。だから同意した。

実は、この鉄橋がない鉄橋は以前にもう一つの場面の舞台となっていた。その二年前、私が初めてHをそこに連れて行った時に、彼女が急に自分から「あなたと永遠にいたいわ。」と告白してきたのだ。当時の自分には全くそんな気がなかったが、彼女の言葉は信じた。カーティスとの事件が起こるまでは。

私の信じている正義はあくまでも「詩的正義」(因果応報)だ。その場でわからなくても、あとでゆっくり考えると「ああ、狡いことや悪いことをするとやっぱりそういうことになるのか」と思わざるを得なくなるような正義だ。