冬休み

やっと冬休みになったが、丁度学期末に『昔々の日本の話』の映画が出来上がった興奮で、あまりキャンパスを去る気がしなかった。しかし、休みの間は留学生以外は寮に居残れない決まりだったので、仕方なく実家に帰った。

高校生の時は母の家の地下の部屋に住んでいた。私が大学に行ってからは妹がその部屋に移ったが、けっこう広い部屋だったので、三分の一はまだ私のスペースということになっていた。

だが、元の自分の部屋に足を踏み入れた途端、壁の隅々まで女の子っぽい絵で覆われているのに驚かされた。それだけならまだしも、自分の机の椅子にもペンキがベ
タベタ付いていることに気が付いた。

追い掛けて来た妹は微笑んだ。「兄さん、どう?私が描いたのよ。上手でしょ。兄さんの方は、兄さんの好きなものばっかりよ。」そう言われて見ると、私の側には、
仏様、蛙、スターウォーズ、金魚などが並んでいた。今になって考えてみるとそう突拍子も無い発想でもないのだが、椅子に垂れたペンキのことしか頭に入らなかった当時の私は兄失格だった。

「どういうつもりだよ。」はっと気付くと、私の本棚に開けっ放しの化粧品がバラバラ置いてある。大切な本を押しのけんばかりに。そして、蝋燭の匂いがした。「
お前、蝋燭か何か燃やしたのか。」

「うん。お母さんが良いって言ったから。」

その後のシーンを思い出すと、正直な所、ちょっと後悔せざるを得ない。今思うと、私はあまりにも幼稚だったし、まだ子供だった妹に罪は無かった。ただ、当時の私は、まだ自分の領域を守ることに精一杯だったのである。

頭の中で赤信号が点滅し始めた。夏休みに帰省する時には、もっと大変なことになるのではないか。一旦家を出たら、そう簡単に元の生活には戻れないというのは本当だった。しかし、夏休みのことは先の話だ。

変人だと呼ばれたことは星の数ほどあるが、中でもよく言われる理由は私が「ホームシックにならない」からだそうだ。自分でもこれは妙なことだと思う。回りの人々は皆「寂しい」と言うのに、なぜ私はそう感じないだろうかと考えたことは稀ではない。

しかし、これにはちゃんとした理由がある筈だ。一つには、両親には大変悪いが、私の育った家庭環境はあまり良いものではなかった。父も母もそれぞれ頑張って自分なりの形で愛を込めて育ててくれようとした。だが、これは上手く説明出来ないのだが、その愛の形が私には向いていず、かえって物凄い抵抗を引き出す結果となった。これは単に私の反抗的な性格のせいかも知れないし、理想主義のあまり周囲の人間がすべて落第者に見えたのかも知れない。まあ、これはこれで説明として筋は通る。しかし、私がホームシックというものを知らない理由は、他にもあると思う。

小学校五年生の私がボーイスカウトのキャンプに行った時のことである。一週間のキャンプで、二日目にもなると殆どの子が「お母さんやお父さんに会いたい」などと幼稚園児のようなことを言い始めた。私はそんなことは感じなかったし全然家へ帰りたいとも思わなかったので、反対に帰る二日前から気が滅入って来た。私は家族を愛してはいるが、正直、あまり会いたくはない。

幼稚園の先生をしていた母に言わせると、たいていの子供は初日に母親が部屋を出る時に泣くものらしい。だが、私は部屋に入った途端に「ママ、大丈夫だよ。すぐ帰ってよ。」みたいなことを言ったそうだ。自分ではあまりはっきりした記憶も無いのだが。確かに幼稚園時代の思い出と言えば全て他の子供とやったことだけで、母には悪いが彼女のことは何も覚えていない。

家族に対してだけでなく、私は一概にあまり「人寂しさ」というものを知らない。いつも会っていたいという気持ちになった相手は今までの人生でたった二人しかいない。勿論、この二人は愛した恋人だった。だが、彼女らと別れた後で「空しい」とは感じても、あまり「寂しい」とは思わなかった。

空しさは寂しさとは別物である。どう違うかというと、後者が「相手が居なくて悲しいから帰って来て欲しい」という感情であるのに対して、前者は「出て行った者は仕様が無い。戻って来て欲しいとは思わない。」という諦めの姿勢の悲しみだからだ。これが私には最も相応しい姿勢なのだろう。

私のこういった態度は私の強い好奇心にも関係があると思う。新鮮なことにしか興味を示さず、月並みになっ
たものにはすぐ飽きる。だから次を探すしか無い。これは、私自身が思うには、移り気ということではない。私は何事に関しても表面的な知識では満足出来ず徹底的に調べるタイプなのだが、ただ、その底が見えた途端に興味が消え失せてしまう。そうなると、もう分かったから次に進もう、という気持ちが抑えられない。)

だから次の話に移りましょう。