決断

これまでの話は大学訪問の旅行記だったのでちょっとバラバラになったようだ。ここでもう一度最初から纏めてみよう。ところどころ繰り返すことになるが、視点を変えることによってまた新しい要素が見えると思う。

高校四年の秋学期、感謝祭(十一月の下旬)の頃に六校の大学に申し込んだ。インディアナ大学、アーラム大学、ノックス大学、カラマズー大学、ベロイト大学とオバーリン(Oberlin)大学の六校だった。

注:オバーリンのことは今まで書かなかったが、私の志望した大学の中で、一番良い評判であった。当然入るのも一番難しかった。しかし、私にはもっともつまらなそうなところにみえたので、訪問さえもしなかった。それなのになんで申し込んだかと言えば、難しい大学に入れるかどうかを確かめたかっただけのことだ。他の五校はそう大した難関でもなかったから。しかし後になってこの考え方は失敗策だったことに気付いた。

アメリカには地元の組織の後援による奨学金がたくさんある。そしてそういう奨学金の申込書には申し込んでいる大学をリストする欄がある。私の成績でハーバードに入れたかどうか分からないが、ちょっとみたところでは絶対無理というわけでもなさそうだった。そういう意味では、オバーリンなどよりもハーバードに申し込んだ方がマシだったかもしれない。それでもアイビーリーグに申し込まなかったのは、そういうところに行く人種とはうまくやっていけないと思ったからだ。アイビーに代表されるような知的優越主義者の仲間になりたくなかったのである。でも人生は皮肉なものだ。話は先に飛ぶが、当時のそう言った気持ちにも関わらず結局私もそのような人間になってしまった。

ハーバードに申し込みさえしていれば、地元奨学金の申込書に堂々とそう書くことができた筈だ。そうすれば、私の出身地ではハーバードへ行こうなどという学生は滅多にいないから、そんな素晴らしい生徒ならぜひ優遇しなければ、と思ってもらえただろう。結局としてもっと奨学金をもらえたかもしれない。申し込むだけ申し込んでおいて入学許可が出てから断ればいいのに、ハーバードでなくオバーリンに申し込んでしまった私だった。

まあこういった策略をその時にすぐ思いつかなかったのは私の性格の善さの証拠だと言えるかもしれない。しかし後からにせよ思いついたことは確かなので、この辺が私の狡猾(こうかつ)さの中途半端なところとも言えよう。

本題に戻ろう。六校に申し込んだのは、入学できるかどうかよりも学費のほうが心配だったからだ。アメリカでは二月に国の大学支援金プログラム(FAFSA)に申し込んで、自分と保護者の収入と財産に基づいた自己負担分の見積もりを出してもらう。大学には政府からこの額が通知され、それから先の交渉は大学次第ということになっている。基金の足りない大学では見積もり額より多く払えと言うところもあるし、インディアナ大学のウェルズ奨学金のように優等生に特別待遇を提供するところもある。だから、私はいろいろな良い大学に申し込んで、一番経済的負担が軽いところを選ぼうと思っていた。

結局、六校全てに合格した。十二月中旬には五校の合格通知が届いていた。アーラム大学だけは二月中旬まで待たされた。全部合格したのは有難かったが、同時に困った。これまでに書いたように、特に行きたい大学がなかったからだ。(もちろん、ウェルズ奨学金をもらえてたとしたら、話は別だったろうが。)だから、四月上旬まで待つことにした。

アメリカでは、もし秋に大学に申し込めば冬の内には合否が分かるのだが、国・州・大学からの援助金をどれくらいもらえるかが決まるのはそれより後のことだ。国の援助金の申し込みをするのが一月から二月で、その結果が分かるのは三月下旬になる。そういうことで、どの大学へ行くかの最終決断の締め切りは五月の初めということになっている。入学は八月または九月になる。

ようやく四月になった。援助金の通知は既に届いていたが、六校のうち四校の自己負担額がたったの二万円くらいしか違わない結果だったので、私は迷った。インディアナ大学は無料だったが、他の四校は一年あたり20万円くらいだった。そして全校(インディアナ大学を含む)は年50万円の学生ローンがついていた。20万円でも高校生の私にとっては大金だったのだが、大学は一生に一回の経験だし、どうせ120万円のローンを背負わなければならなかったし、さらに80万円(20万円の四年分)をかけたところで大した違いはないだろう。

父が私の大学費用のために作った投資口座にはちょうど8万ドルくらいあった。その二年前には二倍くらいあったのだが、インターネットバブルが弾けたせいで、半額になってしまっていた。

六校のうちでオバーリンは例外だった。私はオバーリンの名前付きの奨学金を提供されたが、それでもたった25万円だった。(ベロイトの名前付き奨学金の180万円や、ノックスの約150万円とは比べ物にならない額だった。)だからオバーリンに行くとしたら、毎年20万円どころか120万円も払わなければならないということだった。もちろんそんなお金はなかったし、私は 特に行きたいわけでもなかったから、オバーリンのことはすぐ忘れた。

以前に書いた訪問の結果、ベロイトも問題外だった。インディアナ大学も、面接がうまくいかなくてウェルズ奨学生にえらばれなかったので、行くのは御免だった。当時自分に物凄く誇りを持っていたから、無料でもある意味で私を拒んだ大学には学費がただでも行きたいと思えなかった。それに、インディアナ大学には知り合いが何人か行くことになっていた。だが、私は誰も知らないところへ行きたかった。友達と一緒ならましだっただろうが、それまでの人生を切り捨てて 思い切って新鮮なスタートをしたかった。

これで、ノックスとカラマズーとアーラムが残った。三校とも全て教養課程を中心とする小さい私立大学であった。

このなかで、訪問の印象が一番悪かったのはアーラムだった。医者をしている叔父はアーラム卒だったが、私の相談に「行っても行かなくてもそう変わりない」と答えた。私のかかっていた医者もアーラム出身だったので、聞いてみたら「行かない方が良いんじゃないかな。...どうも変な生徒が多いですよ。やり直しが出来るものなら、僕も違うところに行くと思いますね。」という返事だった。

おまけに、私と二年ほど付合った末に裏切った女がアーラムに行くと決めたので、母はそれ以来反対から大反対になった。

よく調べると、カラマズーはコンピューターサイエンスがとても弱いようだった。それに哲学部も標準より低いようだった。カラマズーの良い点はどうであれ、何よりもコンピューターサイエンスと哲学を勉強したかった私にとっては、これではまずい。だから、すぐカラマズーにも断りの手紙を送った。

ノックスの第一印象は非常に寂しいものだったが、訪問の後に入学事務局と現役の学生からそれぞれ二回電話があった。それがとても優しく心強い印象を与えたので考え直した。ノックスの卒業生からのEメールも届いた。非常に丁寧なメールで、私もそういうような教育を受けた方が良いかなと思った。

二週間頭を絞っても納得出来る決断に達しなかった。あげくの果てに、とんでもないバカなことをした。故意に「自分に一番似合わないところに行こう。」と決めたのだ。理由は二つあった。一つには、学生の一人一人にただ一つぴったりな大学が存在するというのは大学受験コーチの私益のためにあげられた神話にすぎない、という考えだった。キリスト教の「この世に必ずただ一人の最良の伴侶が待っている」という結婚神話のようなものだ。もう一つは、自分に合わないところへいって成功すれば、それだけ自分を強く出来るはずだという理屈だった。

でもこれは両方とも当時の建前で、言い訳でしかない。そのときの私にはどうしても自分を騙す必要があった。

でも実は、なぜ私がそれをやったのか理解するのは、私には不可能だ。

説明しづらいが、私は故意に全く非論理的なことをしたかった。人間の99%以上は、人生の大切な決断(例えば、大学とか結婚とか)にに直面するにあたって、自分の利益しか考えられない。無論、尺度は個人によって異なるが、原則として自分が良いと思う方向に事が運ぶことを望むに決まっている。利他的だとか自己中心的だとかいう以前に、自分が「良い」と感じることをするのが当たり前だ。この道からズレるのは考えられないことだ。

この「考えられない」というところが私の気に入った。なぜ考えられないのだ。人はよく「考えられない、信じられない」と無意識に言う。私もそうだ。でも、考えられない、信じられないものは本当にあるのだろうか。これが私の疑いだった。だから、本当の意味で無理をしようと思った。

人生が平凡に終わってしまうことを心配するあまり、それよりも自殺するほうがましだなどと思っていた自分は、岐路に立っていた。心理分析したら、そのときの私の心理を分析してみれば、それまでの自分にけじめをつけて新しい自分を築こうとしていたのだと言えるだろう。でも、当時の私はそんなことを全く感じていなかった。

言い換えてみよう。高校生の私は、世の中をバカにしていた。なぜそんな人間になったかを説明するためには私の生い立ちを詳しく書かねばならないが、それはまた後の機会にまわそう。ここでは大学決定の話を続けたい。ただ、私の当時の心理を理解するためには、皆さんが世間に恨みや憎しみを感じたときのことを思い出していただきたい。誰でも何らかの絶望を経験したことはある筈だ。

全く非論理的なことをしたかったなら、なぜ大学に行くのを止めてしまわなかったのか、と疑問に思われる方もいるだろうが、当時の私は単純だったのでそこまで考えていなかったのだ。

結局、私はアーラム大学に入学した。