ノックス大学

次もまた奨学金の面接のため、父と二人でノックス大学へ向かった。大学訪問はなかなか楽しくと思い始めた。今まで自分は旅行嫌いだと思っていたのだが、むしろ「家族旅行は好きじゃない」ということに気が付いた。皆と一緒だと喧嘩ばかりするが、父だけなら私は平気だった。

そのとき父がしてくれたことに対する感謝の念は、今になって大きくなるばかりだ。父は仕事を休んで、私と一緒に五校の大学を訪ねてアメリカを回った。だが決断は全部私の自由にさせてくれた。これは何よりも有難いことだった。ちなみに、父が受験生のときにも、祖父が同じように大学訪問に連れて行ってくれたそうだ。父は最初ノートルダム大学に憧れていたが、私のセイントジョンズのように、訪問してからどんどん行きたくなくなったと言う。でも、それから二十五年後、弟がノートルダムに行った。人生は妙なものだ。

うちからノックスまで車で四時間ぐらいかかる。ちょっと遠かったが、父の年間休暇もそう多くないから一日で往復することにした。

ベロイト大学と同じように、ノックス大学はノックスという町にある。そして、ベロイトと同じように、ノックスの町は経済的に苦しい状態にある。アメリカの小さな市町村はほとんどそうだ。

ノックスのことは覚えているが、あまり書く価値のないことばかりのような気がする。別に悪いところではなかったが、ものすごく寂しいキャンパスだった。私が訪問した日にはぴしゃぴしゃの雨が降っていたせいというだけかもしれないが。

ノックスの劇場ステージはその寂しさの象徴のようだった。先端技術を見せびらかさんがために、七十年代に専用の映写機を購入したのだそうだ。どんな背景でも映せるからセットの大道具が要らない代わりに、ステージの後ろに大きな醜い白い画面が聳え立つことになる。劇を上演するときは映画の背景のように場面に合わせて適当なものが映るという仕組みだ。

三十年前だったらこれも画期的な発想だったかもしれない。だが、キャンパスのツアーガイドによると、その装置は二、三年しか使われなかったそうだ。そのあとは普通の劇のスタイルに戻り、映写機のことはすっかり忘られてしまったそうだ。しかし、その巨大な画面は莫大な誤算の証拠として誰の目にも明白に残っているから、忘れられようもない。

それ以外、ノックスの設備は比較的に良く整っていた。私が今まで行った図書館の中では、ノックスのが一番きれいだった。家具や本棚は全部柏材で、千八五十年代の創立以来丹念な手入れで維持されていた。卒業論文を書く四年生専用の小さいオフィスみたいな部屋がいくつかあったのは素晴らしかった。四年生になったらいいよなと思った。しかもこんな綺麗な建物の中に。ノックスの建物で、気楽に感じたのはこの図書館だけだったが、このビルで本当にホットした。

調べてみると、ノックスのコンピューターサイエンス課は良さそうだった。でも、なぜかわからないが、ノックスはどうも気に入らなかった。キャンパスのツアーガイドにはいらいらしたが、それだけで大学に興味をなくすというのはありえないことだ。

ノックスは平均より良いのだが、その良さそのものがまったくもって普通という線を出ない。特徴がないというわけでもないが、これと言って際立つような独得なものもない。その上、寂しいところだった。出身のインディアナポリス市と変わらない。インディアナポリスは千万人以上の人口を持ているが、その割りに娯楽はない。

面接をしてから、雨の降り続く中を帰途についた。実は、この旅で一番強く記憶に残っていることは、ノックスを発ってからのことだ。

私の家族はカトリックだ。当然私はカトリックとして育てられた。だが、カトリック教の習慣はよく身についている割に、信仰そのものはまるでない。両親ともカトリックだが、母の方がより敬虔だ。

この旅をしたのは春だったから四旬節(Lent)だった。それに金曜日だった。そう敬虔でなくとも、カトリックと言えるカトリックは四旬節の間の金曜日には明るい時間に軽い食事だけして一日中肉を食べない。

ノックスへ向かう途中のランチはファストフードで済ました。無論アメリカのファストフードのメニューには肉が入っていないものはほとんどない。だから、ウエンディーズで美味しいベークドポテトとまずいサラダで我慢した。これは私より父の方が苦しかったようだ。

そして帰りはもっと大変だった。二時間ほど高層道路を走ったが、レストランやファストフードの広告さえ見えなかった。私達は普段は六時ちょうどに夕食を取るのに、既に八時だった。父も私も山盛りに食べるタイプだから、昼のサラダとベークドポテトでは食べ終わった時点でも満腹というにはほど遠かった。無論、食事制限をしている筈だからそれでいいのだが、お腹が痛いほど空いていた。突然、「家族レストラン。ここから十マイル。」という広告看板が目に飛び込んできた。高層道路を出て、楽しみにそこへ向かったのだが、店の看板を見ると、そこは「The Beef House」(牛肉屋)というレストランだった。

「まあ、気にしない。気にしない。入っても損はないよ。おそらく菜食主義者向けの食事もあるから。」と父は言って、私たちは車を下りてレストランに入った。だが、メニューを見て、さらにショックを受けた。これは家族レストランじゃない。「家族レストラン」は一般的な家庭の予算で大丈夫な店を指すものだ。ここは神様みたいな値段の「牛肉天国」だった。ざっと一人あたり七十ドル(七千円)というところである。困ったことには、メニューには牛肉以外の物もあった。牛肉ばかりだったら、出ることは簡単な筈だったのに、高級な鮭や鯰(なまず/catfish)もあった。父は「値段を気にするな。ここで食べよう。」と強く勧めた。

しかし、私はどうしてもその値段が気になった。レストランで一人当たり二千円のディナーさえ食べたことがなかった高校生の私には、信仰がなくても四旬節にこんな豪華なご馳走を食べるのは御免だった。「これは無理だよ。」としか言えなかった。父は悲しそうな顔で「値段なんか気にしないでいいよ。大学訪問なんて毎日するもんじゃないんだからさ。本当にいいよ。食べよう。」と納得させようとした。でも断るしかなかった。これを十回位繰り返して、私は父をようやく説得したが、その勝利は良い気持ちのするものではなかった。

それからまた一時間ほど車で走った。九時を過ぎだ。やっと都市郊外に入ると、ファストフォードの店はいくつかあったが、肉が大盛りのメニューばかりで四旬節にしては不適切だった。結局ロング・ジョン・シルバーズに入ることにした。おそらく日本では聞き慣れない名前だと思うのだが、米国で最悪最低のシーフードチェーンだ。二人分あわせてたったの十ドル(千円)で済んだが、犬の飯のような食事だった。たぶん愛犬家に溺愛されているペットの飯の方がうまいだろう。

倹約とは辛いことだ。カトリック教徒のような精神的倹約はさらに厳しい。