「皆と一緒に学ぼう!」と彼女は吐き出した

一学期の授業の殆どは夢のようだった。教授が堪能な上、物知りの同級生が多く、ようやく知識の楽園に辿り着いた気がした。しかし、この楽園でさえ、既に有害な薬剤が導入され始めていた。

大学のオリエンテーションの一環として一年生に必修だったのが、左翼思想の流行の先端を行く「皆と一緒に学ぼう!」というあまりにも間抜けなタイトルのクラスだった。

このクラスに関連して、入学する前の夏に宿題があった。日本の学校では夏休みに宿題があるのが普通らしいが、アメリカでは夏休みに宿題をやらされるのは落ちこぼれだけだ。

だが、まあ良かろう。真面目な大学に行くのだから真面目にやらなくては、と自分に言い聞かせた。それに課題はジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を読むというものだったから、この興味深い作品を使う授業なら「皆と一緒に学ぼう!」というタイトルにもかかわらず大丈夫ではないか、と思った。

しかしながら、結局このクラスは、私に大学を辞めるべきかどうかを検討することを余儀なくさせるほど低質のものだった。冬休み中に熟考した結果、辞めないことには決めたものの、まったく酷い経験だった。

この馬鹿みたいなクラスは丁度その年から新規に設けられたもので、私達はいわば実験台のモルモットだった。私のそれまでの学校生活で既にお馴染みのパターンである。

それまでの一年生必修のクラスは、各教授に15人位ずつ学生がついて一緒に五冊の本を読むという形式で、その五冊の中一冊は個々の教授が選び、あとは学年共通ということになっていた。

教授達は全員これをやらされたので、どうしても自分の専門分野以外の話題を教えることに戸惑ったり、子供のようにお手上げになるケースも多かったらしい。そういうことで、制度の「改革」が求められた。

新制度の基盤となったのは、教授連以外の大学職員に新入生を指導させようという「名案」だった。

要するに、食堂のマネジャーとか、心理カウンセラーとか、宗教顧問などが「先生」の名を借りて教壇に立つ、という訳の分からないデタラメな話だった。

因みに、当時のA大学の授業料は一単位あたり800ドルで、私が始めて買った車より高い値段である。

ミルの『自由論』については、ちょっと難しいテキストだったから、授業担当の職員も他の新入生達もあまり読んで来なかったようだ)

ともかく、授業が始まった。私の当たった「先生」は学生擁護関係の人だったと思うが、今では詳しく思い出せない。彼女の初日の発言はこうだった。

「皆さん、もう『自由論』は読まれましたね。今日はちょっとだけその話をして、次回から教科書に入りますから、買っておいて下さい。」

その教科書というのはプリンストン大学出版社発行の『大学生活入門』という白痴的な怪物だった。こんなものが生まれることもあるから、妊娠中絶の合法化が必要なのだ。

この本のことを思い出すだけで、今でも怒りを覚える。「新聞記事は、大抵見出しから始まります。」とはどういう文章か。馬鹿にするのもいい加減にしろ。

著者と、A大学でこの本を教科書に選んだアホな連中に直接聞いてみたかった。「我々学生達をどこまで痴呆扱いすりゃ気が済むんだ。」

そう文句をたらしたら、A大学信奉者達にこう言われた。「そりゃあ、大げさですよ。文脈の問題だし、誰も貴方を馬鹿にしてなんかいませんよ。貴方の方こそ、そういう態度は改めるべきです。」

しかし、「じゃ、読み手が馬鹿にされてると思わないような文脈を作ってくれませんか。出来たら、100ドル払ってもいいです。」と言い返したら、誰も挑戦に乗って来なかった。

このアホが書いた本からの抜粋をもう一つ披露しよう。「大学とい
うのは、貴方がご両親から離れ始める時期です。寮に住んでいても、毎日御両親と一緒に暮らしていても、貴方と御両親の関係は、おそらくいつの間にか変わって行く筈です。」

この本の感じをお分かりになって頂くにはこれで充分だろう。いくら何でも、A大学は新入生にこの本が必要なほど駄目な大学ではない。アメリカの大学の中では、上等な方である。

もし大学生にもなってこの本が必要だという人が居るとしたら、無駄な夢を捨ててバイトでもして生活するほうが良かろう。小学生でも分かる内容である。年上の兄弟が居なくても、大学に行く頃には親離れをするものだというのは、いつも素晴らしい真実を報道しているテレビからでも学べることだ。

800ドルの授業料を払ってこれでは、困惑しない者は居ないだろう。果たしてその通りで、全然課題をやって来ないような怠惰な学生の間でも、この「皆と一緒に学ぼう!」のクラスには不平の声が絶えなかった。

一学期の幕が閉閉じたところで、礼拝堂の裏でA大学150余年の歴史上初の焚書が行われた。地獄の炎に飲み込まれて行ったのがどの本だったかはあえて書く必要はないだろう。

しかし私は、生来の放火狂であるにも拘らず、このゴミ焼きに参加することを差し控えた。それどころか、問題の本を実家へ持ち帰って金庫にしまった。過ぎた過去の犯罪を忘れようとするのは良くないと思ったからだ。インチキな連中の愚行から生じた惨事を水に流してしまったら、人生の意味なんて無いじゃないか。人間は、動物と違って考えることが出来るからこそ人間なのだ。とは言っても何も考えていない輩も多いのだが。ともかく、馬鹿に踊らされて付いて行く者は、当の本人よりも更に愚かである。

そういうことで、その本は私の宝物になった。こんな悲劇の種でも、埋めて育てる義務はあるだろうと思った。すぐに枯れるだろうから生を与えない、という価値判断は神様にしか無い権限ではないか、という理論である。私はその頃既に無宗教のつもりだったが、まだまだカトリック教思考の癖から抜けていなかった。