昔々の日本の話

日本文学のクラスでいつの間にかD君と親しくなった。D君は背が低く、女性が大好きな上、勉強に集中出来ないタイプだったが、いつも誰よりも元気で、要領が悪くても憎めない人だった。

D君の高校時代の趣味も映画製作だった。入学してから一ヶ月位のある日、彼は「一緒に映画を作ろうよ」と提案して来た。私はとりあえず賛成したが、D君はあまり本気ではなさそうだった。いや、本気だったが、D君の本気は普通の人のとは違っていた。

そのクラスは午後一時からだったので、私はいつも早くランチを食べて、クラスの十五分前には教室に入った。一方, D君はいつも遅刻ギリギリか明らかに遅刻という調子だった。ギリギリに飛び込んで来た日は私の隣に座る習慣だった。授業では色々な討論が行われたが、私の記憶している限りでは彼が課題をやって来たためしは無かった。そして、クラスが終わるといつも違う女性と出て行ってしまう。そうやって気ままに遊んでいる風だったので、彼がいくらクラスで熱心に発言していても、私にははったりのようにしか見えなかった。

それでも、映画を作りたいと思った。もう大学生なのだから、内容に関して学校の規則を気にする必要も無い。こう言うと変に聞こえるかも知れないが、当時の私は法律さえ守れば、問題にはならない、と思っていた。わざわざ悪質な映画を作るつもりだったわけではなく、単に、私は小さい頃からどちらかと言うと下らない話の方が好きだったということである。これは、ただ説教をするよりも下らない話を通してメッセージを伝える方が、優れた手法だと思うからだ。哲学者に例をとって言えば、私はカントよりニーチェを好む。

私は色々な映画を想像してみた。当初の目的が単に「映画を作る」ということだったので、可能性が広すぎて、六週間かけてもなかなかこれという筋も思い当たらなかった。高校時代に作った映画の事を考えてみると、その殆どはスペイン語のプロジェクト(私のスペイン語クラスは試験の代わりに自主プロジェクトをすることが出来る制度だった)だった。今度は日本文学入門のクラスで知り合ったD君となので、ある日、「忍者の映画はどうだろう」と提案してみた。彼は、一つだけ条件を付けてきた。忍者だけでなく、侍も入れなければならない、と。

その日の授業が終わった所で、「忍者映画を作るために俳優を募集します。参加したい方は、どのような役割(悪人、善人)、それから主役・脇役のどちらかを選び、私達までメールを下さい。」とクラスの皆を誘ってみた。私達が決めたやり方では、脚本を書いてから俳優を募集するのではなく、それぞれの人に合わせた役を書き上げるということが強みとなっていた。そうでもしなかったら、絶対六週間で白紙から始めてDVDを仕上げるなどということが出来るものではない。

その次の水曜日の昼には、D君と一緒に脚本を書き上げることになった。「一緒に」とは言ったものの、D君のことだから、彼は二時間遅刻して来た。非常に悲惨な日だった。ずっと雨が降っていて、もう太陽がこの宇宙から去ってしまったような感じの日だった。

D君はようやく私の部屋に現れたが、私が既に一人で脚本を始めていたことに気付くや否や、侮辱を受けたように怒りだした。やはりD君は天気によって性格が変わるような男だった。普通なら私も友人としてもっと気を配るべきだったが、この時は一学期の期末試験までたったの六週間しか残っていず、翌日から撮影を始めたとしても間に合わないかも知れないという所だった。だから、共産主義でやって行こうなどといっている余裕はなかった。私のこういった説明で、D君もすぐに納得してくれた。

そうして、たったの四時間で脚本を書き上げた。

筋はごく簡単なものだった。先生から刀を守る使命を受けている三人の侍兄弟が大学のパーティーに出席する。そこで、酒を飲み過ぎて、背が低い忍者に刀を奪われてしまう。前年大ヒットした『臥虎藏龍」のように、寮の屋根から屋根と飛んで逃げる忍者を追いかけるが、忍者は三人の追跡を逃れて『消しゴム』という悪玉に刀を届けることに成功してしまう。三人の侍は先生に叱られて、刀の歴史を聞かされる。話が盛り上がって、興奮した先生は心臓発作で倒れてしまう。先生は誰に殺されたわけでも無いのだが、それでも侍兄弟は復讐を誓い,消しゴムと対決に向う。消しゴムの居る公園へ途中で浪人に逢う。偶然にも彼もその刀を探しており、彼らに自分の生い立ちを語る。このシーンは余計だったが、『マトリックス」のような背広姿のクローンの戦いを見せることに挑戦してみたかった。そして、正念場に入る。三十人を超える敵との乱闘の末、浪人と消しゴムが向かい合い、刺したがえて死んでしまう。フェードアウト。三人の侍はベンチに座って、次の冒険に話し合っているうちに、一番酒好きな兄弟が「この刀を、先生の所に持って帰ろう。きっと喜ばれるぞ。」と言うと、もう一人が「お前、覚えてないのか。先生は亡くなられたんだよ。」と遮る。そして「ああ、そうだった。悲しいな。しょうがない。飲もう。」で終わる。四時間で書ける脚本としては、まあ、こんなところだろうか。

実際に映画を作るのには大分苦労した。まず、私はまだ日本語を始めてから二ヶ月半でしかなかった。D君も、高校で二年間勉強してきたといってもまだ同じクラスのレベルだったから、大した知識は無いようだった。だから、私達の書いた脚本をC先生のところへ持って行って、翻訳をお願いした。先生は初め妙な顔をなさったが、それは私達の日本語があまりにも下手だったので通じなかったからかも知れない。「映画を作りたいのですが、翻訳をお願い出来ませんでしょうか」などと言ってくる学生が毎日居るわけがない。しかし、結局先生は私達の夢に翼を付けてくれた。

でもそれからが大変だった。日本文学のクラスから募った俳優の半分ぐらいは、日本語を一切知らない学生で、勉強している者でも、大多数は私と同じように二ヶ月ちょっとの初心者だった。そんなわけで、発音は通じないぐらい下手だった。彼らの発音を上達させる為に一応私が指導しようとしてみたが、自分も下手だったので、一学期の終わりまでに発表するのが目的なら、仕方がないと思い、諦めた。

今になってその映画を見てみると、苦笑いせざるを得ない台詞ばかりだが、たまに面白いのも出て来る。例えば、先生役の学生が刀の歴史を語っているシーンで、「刀」が「かたな」と発音されているのは三割くらいで、あとは「カタカナ」になってしまう。映画をご覧になった後で、C先生はこうおっしゃった。「よく頑張りましたね。感心しました。でも、この次は、もっと日本語の言葉に気を付けてください。」 その通りだ。

この映画を作る上で問題になったのは言語ばかりではなかった。脚本を書いた時には当たり前のように色々な特撮を使うことにしたのだが、実は私は特撮の技術に全く疎かった。撮り始めた時点では、グリーンスクリーンという物の名さえ知らなかった。だから、最終的に屋根から屋根へ飛ぶシーンや、数十人のクローンと戦うシーンが出来たのは、奇跡としか言いようがない。

D君とAエージェントからグリーンスクリーンのことを聞いてからインターネットでちょっと調べて、スーパーでそれ用に張り紙を十六枚買って来た。配管修理に使う強いテープで張り合わせて、夜になって誰もいない教室の壁に貼付けた。どうやって付けたかはあまり話さない方がいいだろう。

その背景で、一時間かけて、クローン役のAエージェントと浪人の戦闘シーンを撮った。早速パソコンで編集にかかった。優れた機能のソフトのおかげで、緑色を消すのはごく簡単で、三時間位で何とかなりそうだった。ただ、照明が良くなかったから、全部綺麗に消すことは出来なかった。それは、撮ったビデオに照明が不規則だったからだ。まともな照明をするにはそれなりの投資が必要なのだが、予算は百ドルくらいしかなかった。そもそも私がバイトで稼いだ金だったから、出来れば予算ゼロでやりたいくらいの所だったのだ。D君は大金持ちらしかったが、自分も金を出そうと言い出してくることは無かった。

屋根から屋根を飛ぶシーンはもっと大変だった。全身を映す必要があったのに私が作ったグリーンスクリーンが狭かったことに加えて、教室ではなく食堂の別館で撮ったので照明がますます悪くなってしまった。その上、合成画の背景に使う場面を撮る時に三脚を使わなかった。これは失計としか言いようがない。

私が当時ビデオ編集に使っていたのは12インチのパワーブックG4で、合成画を完成させるのにずいぶん時間がかかった。例えば、この二分間の屋根上の追跡シーンをゲラ上げするのに、二、三時間は必要だった。これに時間を取られた関係で、もっと色々な技術を駆使して微妙な編集をしたくても、そこまで手が回らなかった。そうは言うものの、私はもともと撮影技術よりも脚本に拘るタイプなので、たとえ今のような合成画を一瞬に完成出来るパソコンが有ったとしても、出来上がりの質に大した変わりはなかったかも知れない。

全部で十シーンあるうち、D君が監督したのは一つで、最終シーンを一緒にやった以外、あとは全て私が一人で取り仕切った。初めに共同監督としてやっていこうという考えに賛成したことは確かだが、私の想像したとおりの結果になってしまった。しかし、これは私がD君に失望したとかいうことではなく、ただ、イライラしたということだ。私はD君を、映画を完成させるのにかけがえの無い支えと思っていた。だが、しばらくしてD君の方から「俺の役割は、何でお前の半分なんだよ」と聞いて来た時にはさすがに頭に来て、爆発してしまった。

「そんなこと言って、いつもちょっかいを出してるじゃないか。なんで監督の仕事が足りないと思うんだよ。」

「お前は最初から俺をのけ者にしてるだろう。」

「何言ってやがる。お前は最初から遅刻だっただろ。俺はただ、今学期中に終わらせたいんだよ。それも分かんないのか。」因みに、いつも授業に遅刻している 学生が、必ずしも映画作りに不真面目だとは限らない。俳優をやっていた者達の殆どは学生として不合格だったが、撮影には皆ちゃんと時間どおりに現れた。だが、それはおそらく、そうでない者を首にしたからだろう。考えてみれば、教授も同じように生徒を選別した方が良いかも知れない。

「お前は最初から俺のアイデアなんか必要ないみたいに振る舞ってるじゃないか。」まあ、これはまんざら外れでもなかった。

「私だって一人でやりたかったわけじゃないぜ。お前がズルして、自分の分をやらなかっただけだろ。それでこうなったんだよ。」

ここで、とうとう彼の本音が出て来た。「俺は一緒に編集したいんだよ」

「いや、それは無理だ」

「なんで」

「編集は一番重い責任だからさ」

「だから一緒にやろうって言ってるんじゃん。」Dくんは、怒ると声が女みたいに甲高くなる癖があった。

「駄目だ。私はもう最終版に入ってるんだし、無理だ。」

「そんなこと言わないで、頼む。俺にも仕事をくれよ。」

映画を作っている間に、こんな議論を何回も繰り返した。実はこれは最終的なケリがつくまでに三年かかる問題だった。

大詰めのシーンを撮影する前日に、日本文学の授業の後でちょっと打ち合わせをした。「明日で最後のシーンだから、皆、迫っている期末試験に負けないで頑張ろう」などと、適当にキャストを励ました。D君もなかなかうまい言葉で彼らを応援してくれた。

そろそろ解散にしようかと思っていた所へ、突然主役から質問が出た。

「監督、明日は何か準備した方がいいですか。持って来て欲しいものとか、有りますか。」

ああ、彼は何と立派な俳優だったか。私は冗談まじりで答えた。「まあ、忍者スーツがあればこしたことはないが、それ以外は大丈夫だろう。武器はもうエージェントAが揃えてくれてるし。」アメリカで自分の忍者スーツを持っている人間なんて、そうざらには居ないだろう、と思っての発言だった。

「あ、それなら簡単だよ。忍者スーツなら二着持ってるから。」と彼は答えた。

「何?それなら私も持ってるから、着てもいいわよ。」と女優の一人。

「ああ、俺も持っている。」ともう一人の俳優。

「忍者スーツ?もっと早く言えば良かったのに。俺も二着持っている。」とD君。

これにはまいった。そこに居た七人のうち、四人が忍者スーツを持って大学に来ていた。武芸をやってる者も居ないのに、一体いつどこでそんな物を仕入れたのだろう。聞きたいことはたくさんあったが、時間もなかったので「じゃ、明日は忍者スーツで頑張ろう。」としか言えなかった。A大学が増々おかしな所に見えて来た。これでは米国の「変な大学ベストテン」に入るのも無理はない。

翌日の土曜日は、朝飯をしっかり食べてから撮影に入った。食堂のすぐ近くで撮影したので、寝ぼけマナコの学生が数人うろうろとしながら見物していた。勿論、カメラを見るや否や足早に通り過ぎようとするパラノイアみたいな学生もいたが。私はどちらのグループもあまり気にしないで、撮影に集中した。

しかし、いくら私が働くことが好きでも、キャストの方をたまには休ませないと反乱が起こることになるのは分かっていたから、時々休憩をとった。カメラを止めた所へ、後から声がかかった。「もう少し役者が要る?」振り向くと、私の寮に住んでいる学生が男女二人並んでいた。廊下で挨拶を合わす程度の顔見知りに過ぎなかったが、映画に出演したいというならこっちが困るわけでもない。

だから「ああ、良いよ。台詞はないが、台詞は無いけど、アクションなら歓迎だ。適当に暴れてくれ。」と答えた。

女の子の方がチェシャーキャットのようにニコニコした。「じゃ、ニコニコして「わあ、嬉しい。忍者スーツを取りに行くから、ちょっと待っててね。」と言ったかと思うと、彼の手をとって寮へ向って走り出した。

衣装まで持って来たのはその二人だけだったが、結局その日の撮影には十五人ほどのエキストラが参加することになった。武器も色々なものがあって、50の拳に加えて、ゲームのコントローラーが一個、オレンジが二つ、本物の六尺棒が一本、竹刀(しない)が三本、そして本物の刀が二本出て来た。あるトルコ人の留学生は興奮のあまり、寮の建物によじ上って二階から戦いのまっただ中に飛び込むという離れ業をやってのけた。コンクリート舗装の戦場だったから、彼が無傷で済んだのは全くの幸いである。因みに、A大学はアメリカでも珍しい「国際平和研究」という専攻があるような大学で、今考えてみると、忍者スーツよりもこういった本物の武器が出て来たのは妙なことだと思う。しかし何故か、当時はあまり気にならなかった。

大した理由も無く映画を作りたがっていた自分のことを棚に上げて言うのもなんだが、「A大学の学生は、一体どうなってるんだろう」と思うことが何回もあった。何故ああも変な行動に偏っていたのか、さっぱり分からない。

A大学にはちゃんとした劇場がなかったので、映画の公開にはプロジェクターが揃っている理科学部の講義室を使った。初日は想像以上の入りで、百人強の定員のホールに空席はそう多く残らなかった。そして映写中は爆笑の渦が続いて、馬鹿馬鹿しい映画に相応しい雰囲気だった。実を言うと、皆がジョークに反応して笑っているのかそれとも映画の質があまりに酷くて笑っているのか、私にははっきりしなかったのだが、たった35分の、芸術のために作ったわけでもないコメディーとしては大成功だと思えた。

観客の興味を引っかかった映画の運命は、十分見られたあげく、その交際から続きが生まれることだ。