C先生・日本語一○一

C先生のことを考えると、いつも初めての日本語のクラスを思い出す。そのクラスはA大学で一番新しいビルの教室を使っていた。他の建物の殆どは五十年程の歴史があるものだったが、そのビルだけは十年くらい前に建てられたものだった。外装はキャンパスに調和していたが、残念なことに内装はいい加減な醜いデザインだった。後日、キャンパスの建築計画委員会に参加して分かったことだが、このとんでもないビルの建設計画に関与した委員達は皆そのデザインに満足していた。一人不満だった私は彼らと大げんかをすることになってしまった。

C先生は、きちんと整った服装でその教室に立っておられた。他の大学の教授はおそらく皆きちんとした格好をしているのが普通だと思うが、A大学ではそうではなかった。たいていの教授はジム先生のように、Tシャツにサンダルの姿でクラスに現れる。そんなわけで、C先生を始めて見た時には、先生もキャンパスに来てからまだ日が浅いのだろう、と推測した。

実際、そうだった。これは後から分かったことだが、A大学の日本語教授の任期は二年に限られていたらしい。この制度については、また詳しく書くつもりだ。とりあえず、ともかく、C先生のことを考えるたびにその最初の日を思い出すのは、出席を取った直後にこうおっしゃったからである。「今日の所はさておき、明日からは、明日からは授業の全てを日本語で行うつもりですので、ご了承下さい。」

その瞬間、私は日本語をやめようと思った。私は自分を挑戦するため日本語を選んだのだが、クラスが始まる前に耳に挟んだ話の様子では、既に一、二年勉強したことがある学生が半分以上らしかった。もしそんなクラスを日本語だけで教えられたら、自分が皆のペースに付いて行けるかどうか、疑問だった。

寮に向かいながらしばらく考えたが、すぐに自分を叱り始めた。「これは、今まで大嫌いな高校生活を生き抜くためには必要な態度だったかもしれない。だが、自分の正気を守るために学校関係のことを最小限にとどめるというのは、もう通用しない。義務教育でなく、自分の選択で来た大学なのだから、本当にここに居たいなら、こういう逃避思考の癖は断ち切るんだ。」

次の日は早く起き、ちゃんと朝飯を食べてから授業に向った。C先生は宣告通りずっと日本語でお教えになったが、教科書には所々英語の説明も付いていたので、あまり困難ではなかった。むしろ非常に勉強のためになった。先生は解説が丁寧で、お若い割には教え方が上手だったので、そのクラスはすぐに私の大きな楽しみの一つとなった。

私はいつもC先生のことをちょっと気の毒に思っていた。なぜなら、C先生は若くて、一目で分かる美人だったからだ。そしてアニメ狂のアメリカ人に溢れるクラスを教えていた。

A大学の日本語科は結構有名なものだった。A大学のサイズで日本語科があるというだけでも、アメリカでは稀である。重ねて、優れた教授陣がきちんと指導をしていたのだから立派という他にない。このようにA大学の日本語科は相当しっかりしたものだったが、九十年代からの欧米のアニメブームで日本語の授業にそういう連中が押し掛けてきた。

高校時代の私はいつも大学受験のことを考えて、より難しい選択科目を選んでいた。いくら女狂いの連中でも、先生の容色でクラスを決める者は一人も居なかったように思う。でも今になって考えると、高校では若い先生はあまり居なかったから、そういうチャンスが無かったというだけのことかも知れない。

しかし大学では全く話しが違っていた。A大学では、最初の一週間が「聴講期間」で、その金曜日までに正式な登録を行えばよいことになっていた。だから、登録するクラスが決められない者はその一週間で興味のある授業を訪問してから最終決断をする。聴講期間中の日本語クラスは大変な数の男子学生で賑わっていた。中でもパーティー屋Fという非行少年と源氏というセックス狂が最低だったが、この二人ほどでないにせよ嫌な奴らは他にもたくさん居た。

因みに、当時はRateMyProfessor.comという、学生による教授の評価を見ることが出来るウェブサイトが大人気だった。大学ごとのリストがあって、各教授に電子掲示板がついていた。

こういったサイトは必須の科目で数人の教授がクラスを出している場合などには役に立つかもしれない。無論、これは、真面目な学生が熟考した評価が見られるのだったら、という話である。しかし、RateMyProfessor.comでの評価は全て匿名のコメントによるものだった。そのサイトでは、「授業の分かり易さ」や「課題の量」などに加えて、「セクシーさ」(Hotness)という欄があって、検索するとセクシーな教授の名前には唐辛子が一個、非常にセクシーな教授には二個、と付いて現れるようになっていた。

私の知り合いの中に、このサイトの情報で全てのクラスを選んだ学生が居た。バカにも程がある。閑話休題。

そんな若い男共のヨダレを避けながら、C先生は授業を進めた。在り難いことに、C先生は物凄く厳しかった。遅刻など当たり前という風潮の大学だったが、彼女は怠惰な学生が許せなかった。そして、クラスの人数は時が経つにつれてどんどん減って行った。これは、成績の悪いクラスでも、学期の最後の月の始めにある「撤回期限」までに登録を取り消せば記録に残らないで済むためだった。そこで落とさないで学期末に落第点が付いたら、永久に記録されてしまうし、総合成績(GPA)にも影響が及ぶ。