魔先生・理性主義と経験主義101

アメリカの大学では、二年目の終わりまでに専攻を決めれば良いことになっている。だが私は高校三年生の時から既に哲学を専攻すると決めていたので、早く専門コースをとり始めたかった。それで、普通なら二年生以上の学生が受講する「理性主義と経験主義」というクラスに申し込んだ。

学年制限があったので、前もって教授に許可を得ないと登録出来ない。担当で哲学科長の魔先生のオフィスに入って、妙な気分になった。本がたくさん並んでいた。そう小さくもない部屋だったが、溢れるような量の本のおかげで非常に狭く感じた。それだけのことなら何も変に思わなかったが、私が妙に感じたのはそれらの本のタイトルだった。

哲学関係の本はあまり見当たらず、レイプ防止やセクハラ理論などに関係するタイトルが殆どだった。それはそれで良いのだが、学科長のオフィスともなればさぞかしたくさんの哲学の本があるだろうと想像していた私には、ちょっと予想外の光景だった。

魔先生は哲学者というイメージにふさわしい白髪の方だった。一般的なイメージでは教授の白髪も当たり前かも知れないが、A大学で私が出会った教授のほとんどはまだ30代だった。まだ永久常勤の資格(tenure)がない若い教授連は、教え方がテキパキしている。失礼に聞こえるかも知れないが、魔先生の進み方は、お年なりのペースだった。

面接が始まった。

「なぜ哲学を勉強なさりたいのですか。」

「人間の考え方を勉強したいんです。」

「人間の考え方というと?」

「人間の発想の歴史とか、そういうことです。」

「これまでに哲学の勉強をしたことがありますか。」

「高校の授業ではなかったんですが、政治学のクラスを取ってました。あと、暇なときには哲学の本を読んでいます。例えば『禅とモーターバイクの手入れ』とか。この夏には聖オーガスチンの『告白』を読みました。」

「『禅とモーターバイク』は哲学とは言えませんね。勿論、オーガスチンの方は大丈夫ですが。で、論議の経験はありますか。」

笑いを抑えるのに大分苦労した。「はい、あります。」

「それにしても、哲学は難しいですよ。始めてすぐに止めてしまう人も多いです。」

「私は哲学を専攻にするつもりですから、止めるわけには行きません。」

「それなら、いいですけどね。じゃ、サインしましょう。」

私はこうして「理性主義と経験主義」のクラスに入った。

「理性主義と経験主義」は私が大学で最初の学期に取った中で一番好きなクラスとなった。なによりも、皆が真面目にやっていることに刺激されて学習意欲を高められた。十二人の学生が、一学期間にデカルト、スピノザ、ライブニッツ、ロック、バークレー、ヒュームの名作の抜粋を読んで論議したこのクラスが人生の方向を変えた。

クラスの星はEEさんだった。同じ都市の出身で、聡明な、学生の鑑みたいな人だった。彼女が同郷だと分かった日のことは今でもハッキリ覚えている。その時だけは故郷に誇りを持てたからだ。

しかし、向こうは私のことが気に入らなかったようだ。私が議論を始めると、すぐに私を睨みつけ、時には呆れたように目をグルグル回して見せた。これは私達の政治的見地が違いすぎていたからかも知れない。彼女は根っからの急進的自由主義者で、私は同じ自由主義でもどちらかと言えば保守的な方だった。そして、彼女が私より世慣れていたことも関係していたと思う。

余談だが、私は小学生の頃からずっとこのように考えている。マナーというのは大切なものだ。しかし、理由がはっきりしない規則や「当たり前だから」というだけの規則に関しては、その妥当性を疑ってしかるべきだ。疑わしいと思うものは検討するべきで、その結果として正当な理由が見つけられなかったら、無視しても構わないと思う。例えば、体が不自由な人に席を譲ることは正しいマナーだが、もし誰かがこの規則を疑ったとしても、ちょっと考えてみればすぐに譲ることの正しさが分かるだろう。恩人にはきちんと礼を言わなければならないという慣例についても同様である。こうしたマナーは誰もが守るべきだ。

しかし、女性の厚化粧などは単なる慣習の部類で、決してマナーとは呼べないと思う。綺麗な女は化粧をしなくても綺麗だし、そうでない女は化粧をしたところでそう変わるものでもない。するだけ無駄のような気がする。しなくても良いどころか、しない方がマシかも知れない。自分の見かけを良くする為に毎朝一時間もかけている女など、見られたものではない。その余裕があったら、勉強とか仕事した方が良いに決まっている。

EEさんはメークを使わない方だった。一概に言って、A大学の女性の殆どは化粧に関心がなかったようだ。これはA大学の良い所の一つだろう。そして、アメリカの大学にしては珍しいことに、学生達があまりファッションに踊らされていない。こういう現象は今までA大学でしか経験したことがないが、とても素晴らしいことだと思う。

無論、何事にも一長一短がある。A大学の短所は、シャワーを滅多にシャワーを浴びない者が驚くほど多かったことだ。大学に行くまで、シャワーで体を洗うのは世界的な常識だと信じていた。少なくとも、先進国でちゃんと冷温水の配管がある所なら、当たり前のことだと思っていた。私自身、八月の冒険に参加した時には一度もシャワーを使わずに三週間過ごしたが、これは生まれて初めてのことで、はっきりした理由があってのことだった。

だが、A大学には何十人ものシャワー回避主義者がいた。最初は、こいつらは皆ヒッピーの親に育てられたんだろうか、と思ってしまった。「ああ、水を節約しようって奴らは臭いんだよな」と冗談のように説明する先輩も居たが、私は人の言うことは信用しないタイプなので、その辺で「自然の香水」を漂わせている者に直接聞いてみることにした。

「あ、俺?いや、水が体にかかる感触がどうも好きじゃないんだ。それだけのことさ。」どうも彼は本気らしかった。

これにはどうも納得がいかなかったし、個人差もあるだろうと思って、もう一人聞いてみることにした。

「水の節約とは関係ないわよ。あたしはただ、シャワーが嫌いなの。」

「なんで嫌なんだい?」返事はあまり期待出来なくても、訊かざるを得なかった。

「嫌なものは嫌だってだけのことよ。水が嫌いだからシャワーを浴びないの。分かるでしょ。」

本人達には当たり前でも、私には到底理解出来ない習慣だった。三年間考え続けて、とうとう、三年生の時のルームメートに尋ねた。

「失敬な質問かも知れんが、聞かせてくれ。お前、なんで週に一回しかシャワーを浴びないんだ。」

「別に失敬なことはないよ。ただ、俺は物凄く時間がかかるから、毎日やってたら時間がもったいないだろ。だから、余裕のある週末にしか浴びないんだよ。お前は早いから、毎日シャーワーを浴びても大丈夫みたいだけど、俺はそうはいかない。匂いが気になるって言うんなら何とかしないでもないが。」確かに彼のシャワーは長かった。平均二時間ぐらいだったろうか。

彼らにとっては、滅多にシャワーを浴びなくて当たり前だったらしい。カルチャーショックとでも言おうか、私にはアメリカが以前より広く見えるようになったことの一つだった。

臭い人間が多い一方、化粧した顔が少ないのは有難いことだった。素顔で人前に出るのは良い習慣だと思う。私は、束(つか)の間の美貌を追っている人を見るといつも嫌な気分になって落ち着かないし、決してそういう人を気に入ることもない。テレビばかり見ている人についても同じである。要するに、時間を無駄に過ごしている者が許せないのだ。

まあ、他人がどういう生き方をしようが私の知ったことではない、と言ってしまえばそれだけだが、それにしても、頭を使わないことに時間を費やしている人間を見ると不愉快になることは確かだ。頭の良し悪しの問題ではない。人間は考える葦だという格言の通り、どんな頭でも、自分について最低限考えることをしなくては人間でいる意味がないだろう。

個人的には相容れなくても、EEさんは私にとって大切な存在だった。彼女の手本がなかったら、私は学生として駄目な人間になってしまったかも知れない。

魔先生の教え方はお世辞にも上手いと言えるものではなかった。最初の授業はこういう調子で始まった。「私はこの時代の哲学者はあまり好きではありません。人類の思想が古い昔の西欧系のお爺さん達の考えだけに代表されているというのは不平等な話ですから。しかし、彼らが歴史的に重要な思想家であることは確かなので勉強しなくてはなりません。とは言っても、結構好きなんですけどね。実は、昔パソコン関係の仕事をしていた時にこの哲学者のお爺さん達に出合ったのが、哲学を研究する契機になったんです。」論理学を教えていらしたのだが、先生の論理能力がたまに気になるようなこともあった。

魔先生の授業で、初めて本物のPC病に出くわした。その学期、他のクラスではPC病を見かけなかったのに、この、最も古い学問である哲学のクラスが感染していたのは不思議なことだった。高校を出たての私としては、せめて哲学は機械に免疫があるだろうという印象を持っていたのだが、少なくともA大学ではそういうことでもないらしかった。

魔先生はディスカッションの指導があまりお上手ではなかったが、クラスでの論議はうまく進んだ。特に楽しかったのは、週一度の班に分かれて行う論議だった。「理性主義と経験主義」は四単位のクラスだったが、一単位あたり週一時間という計算では四時間やる筈の所に三時間しか授業がなかった。残りの一時間は十二人の学生が三つの班に分かれて話し合いをすることになっていた。実は私にはこちらの方が授業らしい授業よりも興味深かった。

私はEEさんとJ君と赤髭の山男と一緒の班になった。半メートル程の赤髭を生やした山男も、八月の冒険の経験者だった。専攻は宗教で、牧師を目指していたらしいが、どうもまだまだという感じだった。酒が大好きな上、日本に留学中、他のA大学の学生達と一緒に公園で大きなたき火をして逮捕されたこともあったそうで、強制送還は免れたものの、相当な騒ぎだったらしい。

J君はアフリカからの留学生で、専攻ではないにせよ哲学に深い興味を持っていたようだ。あまり話さないタイプだったが、たまに誰よりも鋭いことを言った。

全員がしっかり課題をやってくるクラスだったので、これでやっと学ぶということが当たり前の世界に辿りついた気分だった。後になってみればこれもまた私の勘違いに過ぎなかったのだが、当時は物凄く嬉しかった。これからのクラスが全部このように進んでくれれば何の問題もない、と思った。

学期の半ばに、各班がクラス全体を相手に一回ずつ授業をする段階に入った。私達の班はロックの「人間と動物の違い」についてのディスカッションを指導することになり、授業の計画を立てるために集まった。私達が指導することになっていた課題の最初の一節は、「Brutes abstract not.」(動物は人間と違って、抽象的に考えられない。)だった。普段は真面目にやっていた私だが、この文章に出くわした途端に集中が効かなくなってしまった。ロックのあまりにも古めかしい言い回しに加えて、「brutes」というのを想像するだけで可笑しくてたまらなかった。これは私だけではなかった。J君も「brutes」という言葉を読もうとする度に笑ってしまった。そして笑いは赤髭の山男にも広がった。EEさんはイライラした声で私達を叱りつけた。「貴方達、ちゃんとしてよ。もうそんなに時間がないんだから。」

しかし、そう言う彼女も結局笑ってしまった。

学期の成績は出席率、レポートが四本、そして班の評価の合計で決まることになっていた。二番目の、スピノザについてのレポートを提出した時のことである。長さは五ページから七ページという規定だったので、五ページ書いたのだが、先生の返却コメントには「次回はもう少し書いた方が良いでしょう。議論の展開にそって、出来るだけ詳しく書いて下さい。」とあった。

次のライブニッツについてのレポートは八ページから十ページと指定されていたが、出来るだけ詳しくという先生の言葉を真に受けて、二十七ページに及ぶ怪物を書き上げた。それを提出しに行ったら、「何これ?」と聞かれた。

「私のレポートです。よろしくお願いします。」

これは内容的に自信があるものだった。私にしては珍しく、皮肉なことは全く書かなかった。二十ページを超えるとなると、結構時間がかかる。だからこそ、先生はその努力を認めて褒めてくれるに違いない、と素直に信じていた私は単純そのものだった。

結果としては、Bの評価だった。先生の説明はこうである。「確かにもっと長くとは言いましたが、ここまで長くなるとレポートというより論文に近くなってしまいます。内容的には A ですが、長すぎるのでBにしました。全部読むのは面倒なので、勘弁して下さい。規定要項に示された範囲を守るように気を付けて下さい。」先生の手書きを読みのに大分苦労した。

若気の至りの失敗だった。なによりも、「読むのは面倒」という言葉に傷ついた。興味深い議論を書いたつもりだったのに、「面倒だから勘弁してくれ」と片付けられてしまったら、元も子もない。「内容的にはA」はまだマシだとしても、それなら読むのが面倒と言うことはない筈じゃないか、とも思わざるを得なかった。

レポートを返却するのに六週間以上かかる方だった。最後のレポートは次の学期になってから返すとおっしゃったので、二学期の十二週めになって取りに行ったら、「あら、無いわ」だった。レポートが自分で勝手にどこかに行ったはずがないと思うのだが。

どうしてそんなことになったのかは覚えていないが、なにはともあれ、魔先生はその後私の指導教官になった。