セイントジョンズ大学

その家族旅行は想像していた通りつまらなかった。まあ、強いて言えば、想像していたよりちょっとはましだったかもしれない。とにかく、車内で『アイビーリーグより良い大学』を読み終えた。さらに百校以上の大学紹介するところを何回も読んだ。特に興味を持ったのは、メリーランド州とニューメキシコ州にあるセイントジョンズ大学だった。(注:ニューヨークのセイントジョンズとは別物だ。)

その本には、セイントジョンズについて「アメリカの約三千校の大学の中でもっともイネテリな雰囲気のある学校と言えよう」と書いてあった。セイントジョンズにはほぼ千人の学生が居て、専攻は無い。学生は皆同じ授業を受ける。全ては『西洋文明の基礎文献』関係だ。これは、四年間を通じて有名な文学・理科・哲学などの作品から学生と教授が一緒に選んだ百冊を勉強するということだ。

当時の私は高校にうんざりしていた。他の生徒は何も知らない癖に、勉強しない。学ぶことを楽しまない。いつも先生に「先生、先生!なぜこんなことを勉強する必要があるの」とばかり聞いてやがる。私にとって、コイツ等と勉強するのは、時間の浪費よりむしろ脳髄の腐れであった。彼らは自分を向上する気は全くない。そんな中で、高校の先生はいつも「大学に入ると、全てを学ぶことが出来る」と言っていた。先生を信用していた私の大学に対する希望はどんどん膨らんでいた。そんな私には、セイントジョンズのカリキュラムは夢のように思えた。

高校三年の春休みに、父と運転を交代しながらわざわざセイントジョンズのメリーランド州にあるキャンパスを訪ねた。いわゆる「大学訪問」だ。アメリカの制度では、親がホテルに泊まっている間に生徒が大学のキャンパスで一泊二日の体験生活をすることが出来る。ちょうどワシントンDCで桜が開く時期だった。ちょっとDCを回ってから、セイントジョンズに向かった。

キャンパスに足を踏み込んだ途端、その小ささが感じられた。南西角から北東角まで歩いて九十秒ぐらいしかかからなかった。それに、三面は高そうな骨董屋、北面は海軍基地に面していた。まあ、大学さえ良ければ、これは気にすることではないと思った。だが、位置のことだけを考えるとしたら、まるで監獄みたいだった。大学から休憩できるような逃げ場もなかった。学生用の駐車場さえなかった。

位置は位置だが、十九世紀の建物の雰囲気はとても気に入った。セイントジョンズは北米最古の講堂がある。『西欧文明の基礎』などという偉そうなことを勉強する学生にぴったりだと納得しざるを得なかった。

だが、非常に気になることもあった。私と同じ日に訪問している生徒が三人ぐらいいた。私達には在校生のアルバイトかボランティアのホストが一人づつ付いていて、そのホスト達が色々なところに連れて行ってくれた。ところが、ホストばかりではなく、ホストの友達まで一緒についてきた。六、七人はいただろう。これには妙な気がした。せっかく素晴らしい本をゆっくり読めるところに居るのに、入学希望生に付いて歩く暇などないのではないか、と。我々は別にそんなに面白くもない、ただの高校生だったのに。

夜は美味しい飯を食堂で済ませてから、授業を聴講する機会があった。アリストテレスの生物理論についての授業だった。ただし、セイントジョンズの教授は専門家では無いため、授業というよりも、先生と学生が一緒に議論をしながら、本から学び、お互いを励む、という形式だ。だが、訪問者からは何も学ぶ事が出来ないようだった。授業が始まる前に、ホストは「絶対音を立てるな。観察だけだよ。授業の差し支えになったら、あなたの入学願書は×になる。」と厳重な注意を言いわたした。

それでも、当時の私は感動した。本当に真面目にやっているんだな、と。

その授業は何よりも素晴らしかった。二十人が同じ本を読み、同じテーブルで座り、その本に書いてある思想や理論の意味や感想について議論するのは本物の教育である。セイントジョンズに着いてからだんだん疑惑に溺れ始めていた私は突然ほっとした。この大学に入るのは私の運命である、と。

その後、一人で図書館に行った。『西洋文明の基礎文献』教育をうたう大学には何の本が揃っているかと知りたかった。真面目な本ばかりだった。だが、息抜き用になるような比較的に軽い本もあるかな、と探してみた。軽い本は一切なかった。(初めての大学訪問だったので、まだ大学の図書館に軽い本がある筈はないことは知らなかった。)

図書館についてもう一つ思い出すことがある。私が図書館へ近づいた時、一人の女子学生が先にドアを開けて、後ろに誰かいるかどうかを確かめた。まだちょっとドアまで距離がある私を見てにっこり笑うと、ドアをおさえて待ってくれた。しかも非常に綺麗な女性だった。それまでそんなにフレンドリーではない学生しか出会っていなかったので、彼女のような人物を見つけたことは何よりも嬉しかった。

私は自分の高校の女性には性的な興味しか持っていなかった。それ以上求めても期待外れだけになるから。当時はまだそんなに数多くの頭が切れる女性と出会ったことがなかった。もちろんこれは女性を軽蔑しているということではない。ただ、私の高校では、頭が良い女性はかなりいたけど、友達として哲学・宗教・宇宙の運命などについて話そうとする女性はいなかった。だから、異性の相手はなかった。それだけの話だ。

その後、ホストと再会して、校内の喫茶店でコーラを飲みながらたくさん話した、『不思議な国のアリス』のティーパーティーのように。それからホストの部屋に戻り、すぐぐっすり寝た。目が覚めたときには、ホストは出て行くところだった。朝の挨拶を済ましてから、面接に行った。

面接はうまくいったと思った。話が盛り上がって、面接官が直接私に「まあ、あなたはもうまるでセイントジョンズの学生のようだ」と言ってくれたからだ。

面接を済ました後、インディアナへ帰った。長い車の旅の間に、父と大学のことをよく話しあった。ただ、私はセイントジョンズに対しての興奮をわざと収めるようにつとめた。両親はまだ私が地元の大学に行くと思っていたからだ。だが、父は「自分の好きなところに行っていいよ」と言ってくれた。父は、母と違って、心の中で反対していてもいつも私の決断を支えてくれる人物だ。

当初は本当にセイントジョンズに憧れていた。いや、というよりもむしろ、他に大学訪問しなくてもいい、と思っていた。

だが数ヶ月経つうちに、疑いが出てきた。セイントジョンズは本当にそんなに良いところだろうか、と。才色兼備の女性がドアを開いて待っていてくれるところは他にいくつもあるだろう。それに、本当に本に籠っているだけでいいのだろうか。私はこのプログラムは魅力的と思っていたが、同時にコンピューターのことも一応勉強しておいた方が良いと思った。そして、皆が同じ授業でつまらなくならないかな。何より私をおびえさせたのは、ホストの、受験志願の高校生にさえ友達のように声をかけようという寂しさだった。

追い討ちは、学費が信じられないぐらい高い。高い上に、卒業しても学位は総合学部だからすぐ給料の良い仕事を見つけられるわけがない。うちは貧乏家族だし、コネもないので、そうはいかない。同時に、だんだんコンピューターをもっと勉強したくなってきた。毎日使っているコンピューターの原理や構造は非常に興味深いものだった。そして、留学にも興味を持ち始めた。どことは決まっていなかったが、一応機会さえあれば、どこかに行きたいと思った。だが、セイントジョンズの画一化された教育では、コンピューターの勉強はもとより、留学なんかできない。そんなわけで、最終的にはセイントジョンズに願書も出さなかった。

今考えると、なぜ願書も出さなかったのがちょっと不思議に思える。私は大学六校に申し込んだ。セイントジョンズを加えるのにそんなに手間はなかったが、それにしてもちょっとした努力さえしなかった。おそらく、セイントジョンズに申し込まなかったのは、もし合格してしまったら行きたくて仕方がなくなるだろうと自分で知っていたからだろう。

ニューメキシコ州のではなく、メリーランド州のキャンパスに訪問したことも原因になっただろう。実は、『アイビーリーグより良い大学』を読んだから、ニューメキシコのキャンパスの方に行きたかった。ニューメキシコのキャンパスはずっとひろくて、近くに軍隊基地も無い。東海岸の威厳ぶった雰囲気に比べて、砂漠の民の習慣が君臨している環境は非常に私の気に入ったかもしれない。もし、メリーランドの代わりにニューメキシコのキャンパスを訪問していたら、多分ようやくセイントジョンズに行くことにしただろう。

しかし、父は訪問ついでにワシントンDCを見物したかったし、インディアナ州からニューメキシコ州までは飛行機しか無かった。実はメリーランドへの旅だけでもうちの家計にはキツかったのだ。高校生の私は既に自分の家庭の金不足に気付いていた。私が大金持ちの家族で生まれだったら、セイントジョンズは躊躇無くまっすぐに行ったと思う。だが、結局その方が良かったとは言えない。お金の余裕は色々な悩みの原因ともなるからだ。